>>946
磯部靖て人が書いてるんだが、それどこまでが本当なのかイマイチ分からんのよ
毛沢東は自身の後継者を鄧小平にしたが、それは彼がソ連留学組にも関わらず毛沢東に近い思想だったから、と述べている
その中身は地方の分権と切磋琢磨を進めていくというもの

他の人ではそもそも人民公社は1956年の飢饉で、農民が自発的に作っていったと分析している人もいるし

大躍進を承認したくなくて駄々こねてたけど、多数決でゴリ押されて最終的に認めたんだよと書いてる人もいたりね、
これは日中経済での交流会での研究発表だったかな?
承認したけど、やっぱり嫌だってんで南巡講話(実は鄧小平の前に行っている)で農民や商人達に党中央の批判演説をした結果、
当然のように北京の政治局から反感を買って毛沢東が追放されたっていうオチ

彼もまたスターリンと同様、見直しが行われてきているのがこの21世紀においての史料批判である