ペリーvs大信長ザメvsゾンビ吉宗
時は嘉永6年、浦賀水道にペリー率いる黒船が来航した。江戸の家老達が慌てふためく中、
水戸藩主徳川斉昭は一計を案じ、水野忠邦をエサにし、信長の霊が取り付き巷を騒がせた巨大ザメをおびき寄せる。
まんまとサメに黒船一隻を沈められたペリーだったが、斉昭の謀略を知りサメと江戸城に向けて怒りの砲撃を開始する。
困り果てた江戸の民達が日光東照宮に祈りを捧げると、死後も江戸の行く末を案じていた吉宗が墓所から蘇るのだった。