>>749
>>755
「享保の改革」は一口で言うなら「農本主義のデフレ政策」なんよ。
何故なら「米価格の抑制による経済運営」が目的になってるからなのだな。

ただ、現実の問題としていくら増収策を採っても徴収者の頭数やらの問題が解決する訳じゃないから
限度があるし、かと言って役人を増やす訳にも行かないから色々な意味で手詰まりになってたりもする。
(厳酷な年貢取り立てで有名な神尾春央(時の勘定奉行。若狭守)ですら平均して三割七分五厘の
徴収が精一杯だった)

その反動として吉宗後期から家重期は一揆が頻発して、家重はそれの解決にも頭を悩ませている。

郡上八幡の国一揆はこんな背景の下で、譜代層による「農本主義での徴税方法の模索」という面が
有って(金森頼綿に時の老中層が「大公儀のお覚えがめでたくなれば旧領(高山領)への復帰が
叶うかも」と示唆を与えているし、幕府代官による徴税の「指導」の支援もさせている)、一条鞭法みたいな
徴税までやらかして結果国一揆が起き目安箱に直訴が来る騒ぎになったんだな。