島村速雄の息子で福岡県柳川市の立花家に婿養子となった
立花和雄氏の「柳川の殿さんとよばれて」より

「私は父に叱られた記憶は一度しかない。父は根っからの軍人だったが家庭では温厚で実に優しい父親だった。
ある日、その父が烈火のごとく怒った。(中略)
放課後、海軍軍令部の父の部屋に行ってみると二人の見知らぬ客がいた。
羽織袴の男、もう一人は海軍の軍人であろう。
『それじゃ、乗っている人間はどうなるんだい』
と父が羽織袴の男に尋ねた。
『ですから爆発直前に飛び降りまして・・・』
『飛び降りるったって?助かりっこないじゃないか』
父は明らかに怒りの色を浮かべていた。男が答えた。
『日本の軍人ならそのくらいの・・・』
『こんなものを乗せていたら士気に影響する。武器じゃないッ。こんなもの』
手にしていた図面を机の上に叩きつけた。真っ赤に燃えた父の顔があった。
初めて見る顔である。怒気をみなぎらせ全くの別人のように見えた。
父を怒らせたのは特殊潜航艇の設計図であった。
この事件は父が海軍軍令部長の頃である」

特攻兵器の発想の発想て大正ひとケタくらいの頃にあったんだなと
思いもよらぬ本から出てきた豆知識として