8月24日、既に負傷者の後送が事実上不可能になった、部隊の状態は最低レベルになった。砲弾の問題は深刻で、80mm/120/122/155/RSZVを全て合計しても、1日10-30発になった。
8月26日に北側のKarlov村で包囲が形成された。Halytsynivka村の近くでロシア軍が塹壕陣地の一部を奪った、なぜなら守備部隊がそこにほとんど居なかったためである。これら全ての結果として、第11大隊はXXX名(3桁)に登る猛烈な損害を被った。ここで部隊の残存をKarlivka村の南境界付近まで後退する決断を行った。これは例えばNevelsky村を守備する第10大隊と同じであるが、かれらの場合は10-12km後方で包囲網が閉じられることになり更に深刻である。