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米の場合は、ドクトリンとして文書化も規定もしておらず、組織としてではなく、あくまでも属人的に行っています。
さらに策略的というよりも力業。

作戦術を始めて文言化して研究したのはソ連ですが、それ以前にナポレオンは属人的無意識に作戦術を実行していました。
なので、西側ではイデオロギー的にソ連を認めたくないという側面からも作戦術の発端をナポレオンとする研究も存在しています(かなり一般化している)

ナポレオン以降でも、モルトケも作戦を規定し実行しましたが、あれ作戦次元-戦術次元は規定かしていますが、戦略次元-作戦次元の関わりは属人化しているのです。

結局、文書化し系統だって研究できたのはソ連だけだったのです。このようにドクトリンと属人的指導は別物。

(ソ連では傑出した軍事的天才がいなかった為に属人化ができなかったとも言えますが、それが最終的には吉に転じています)
(西側は傑出した天才がいたが為に、属人かから離れられなかったと考えています)

なお、赤いナポレオン トハチェフスキーは天才というより秀才かと。
だから全部自分一人では出来ないので、文書化した。

天才はいるとありがたいが、その弊害もまたあると思うのです。
(いつもいるとは限らないし)
(WW1以後は戦争の規模が大きくなって天才でも1人では見切れなくたってきましたし・・・)

(それでも今後も軍事的ひらめきが必要となる場面も多く、作戦立案の時点では天才は必要とされるのですけどね(むしろ重要化していく)