>>398
続き

> 2014年のマイダン革命(クーデター)で誕生した現ウクライナ政府は西強硬派が政権を握り「西ウクライナ人」としてのアイデンティティを醸成すべく、国旗やシンボルマーク(三又槍)の露出を強力に行ってきた結果が先の青と黄色の頻発です。それだけではなく西ウクライナ人としての思想の強要やソ連の歴史否定、ロシア語に対する弾圧を行ったことは、国内を分断する要因となってしまいました。

>「どちらでもいい」6割の国民は2割の西強硬派に従いましたが、東強硬派は現政権を認めず徹底抗戦を貫いてきました。それがみなさんご存じドネツク、ルガンスクの人々です(東強硬派であるクリミアは運よくロシアに併合されました)。

>元々東西で目指す方向性がバラバラのウクライナ人にとって、ウクライナという国を豊かにして世界に誇れる国にしていこうという意識は希薄です。ウクライナ人のサクセスストーリーは外国に出て先進国の住民になりその国籍を取ることです。現に、優秀な人の多くは言葉の通じるロシアや西側先進国に出て行ってしまいました。

>ウクライナという国の存続を命を懸けて守る意思のある国民はこの戦争の初期に志願兵として参戦し、多くは死傷してしまったことでしょう。ウクライナ軍の士気が高かったのは過去のことです。