日本が操業できる漁場を韓国のものとして、すべての天然資源・水産物を利用する権利を主張して、
>>393 この李承晩ラインに入る、日本漁船は武力を持って排除するなどと通告をしました。
この結果、韓国による日本漁船の拿捕が続いて、拿捕された船は328隻、娘が生まれたばかりの若い漁師など
死傷者は44人、日韓漁業協定が成立する1965年まで人質(最大13年)にされた抑留被害者もいます。