日清戦争の黄海海戦で分かった戦訓は「これからの海戦では非装甲区画は速射砲で徹底的に破壊される」だと思いますが
防護甲板以外ほぼ非装甲区画で事実黄海海戦でも日清双方で被弾への脆弱性を示した防護巡洋艦は
これを機にもう海戦に適さないと判断されて建造が打ち切られ軽度の舷側装甲を持った軽装甲巡洋艦に移行しそうなものですが
にも関わらずその後も重油専焼に移行する1910年代まで防護巡は建造され続けました
防護巡の建造が続いたのは防御力が速射砲の多数被弾にも耐えられると判断したという事でしょうか?
装甲代わりの石炭庫ってそんなに速射砲に対する有効な防御になりますかね?