ゼレンスキがそんな義理堅い人か知らないけどテレビが入っている公式の席
目の前で曲がりなりに世話になった売電下げ親分上げの社交辞令が始まった時、ヘラヘラしているべきか
これはゼレンスキーだけでなく我々の生活の中でもある、そういう品のない場にはいかないと言うしきたりがリバタリアンから見ると立憲君主の国のしがらみのクソさかもしれない