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大阪市交通局(バス部門は現・大阪シティバス)の支援は大きな話題を呼びました。
仙台市からの支援要請が大阪市交通局の現場に届いたのは震災当日の18時。
職員らは即座に大阪市の支援物資を積み込み、運転手を手配したものの、
時間が遅く官公庁への承認をもらうことができなかったのです。
当日は金曜日、次に開庁するのは月曜日です。
しかし、テレビやラジオから聞こえる被災状況は深刻さを増すばかりで、
すぐにでも出発すべき状況でした。
翌3月12日には2台の市営バスが、東北に向けて出発しました。
担当者は「帰ってきたら、一緒に怒られましょか」のひと言で、運転手を送り出したそうです。
車両の構造上、高速道路を走れない市営バスは、大阪から約600kmの道のりを一般道で北上し、
翌朝4時に仙台市宮城野区へ到着します。
支援物資の乾パン1万食と毛布8000枚は、拠点から避難所に配送され、
乾パンはその日の朝食として提供されました。
このとき大阪市交通局から派遣されたバスは、のちに無償で岩手県釜石市へ譲渡され、
工事関係者の輸送手段として数年にわたり使われたそうです。