>>38の続き

と、戦時中とは正反対のことが起きていました。

飢えていた状態から急に食べるように言われるのもまた大変で、兵士たちは大量に食事をしては周囲を走ってまた食べるという生活をしたそうです。
しかし、やなせ先生がいた泗渓鎮は戦後も平和で、食糧が奪われることもなく、余った米などは現地の住民との物々交換にも使われました。

この体験を振り返ったやなせ先生は、「バカみたいですね。戦争が終わっても、軍隊というところは融通が利かない、というか理不尽なところです」
(『ぼくは戦争は大きらい 〜やなせたかしの平和への思い〜』より引用)と述べています。

飢えだけでなく、こういったむなしい経験も、やなせ先生の「戦争は大きらい」という思いにつながったのかもしれません。
『あんぱん』では食糧が残っていない状態なので、今後上記のような場面はないと思われますが、終戦直後の嵩ほか兵士たちをどう描くのかも
気になるところです。

参考書籍:『ぼくは戦争は大きらい 〜やなせたかしの平和への思い〜』(小学館 著:やなせたかし)、
『アンパンマンの遺書』(岩波書店 著:やなせたかし)
https://news.yahoo.co.jp/articles/231010a217665ca1b97e4673925d4f169e175696

私の曽爺さんも終戦をラバウルで迎えていたそうですが、本土から完全に孤立したラバウルは兵士らに田畑を作らせて自活したり、
備蓄食料を可能な限り持たせるよう配給も減らされて戦争末期は皆腹を空かせていました。

しかしいざ終戦となってみると、ラバウル基地の食糧倉庫には優に数年は食えるだけの大量の食糧が備蓄されていて唖然とし、
「こんなに食料があるんなら俺たちの空腹と苦労は何だったんだ!?」と猛烈に腹が立ったそうです。