神風特別攻撃隊が出撃前に食べた「特攻のはなむけ料理」 昭和天皇は長い間この料理を見つめていた
毎日新聞 2025/8/14 12:00

・終戦の年、昭和天皇は新年を防空壕で迎えられた
1939(昭和14)年、第二次世界大戦が勃発。 1941(昭和16)年12月8日には、真珠湾を攻撃し太平洋戦争へ突入した。
初戦のころの勝利も長くは続かず、間もなく日本は日に日に敗戦色が強くなっていった。

1945(昭和20)年1月1日、いつもなら華やかな新年祝賀の儀が行われる日である。 
しかし、この年は取りやめとなり、昭和天皇と良子さまは御文庫で新年を迎えられた。 御文庫は空襲の激しくなった1944年冬に、
昭和天皇と良子さまの防空壕と住居を兼ねて作られたものであり、目立たないように「御文庫」と呼ばれていた。
御文庫の南側は、一面が枯れたすすきで覆われていた。

この日、昭和天皇は軍装で四方拝(しほうはい)をされたあと、御文庫で晴れのお膳を召し上がられた。
宮中のお正月料理である御祝先付には、真っ白な薄い丸餅の上に菱餅を重ね、ゴボウの砂糖煮と白味噌を乗せて、二つ折りにし
た菱葩(ひしはなびら)を中心とした本膳に、鰤などの切り身のつけ焼き、雉子酒が出される。

白い菱葩は、今では一般の新年のお菓子「はなびら餅」となって親しまれている。
しかし、戦争が激化していた1945年1月に御文庫で出された菱葩の色は、黒っぽいものであった。
もち米の質が悪くて、純白にならなかったのだ。

・特攻隊員の最後の食事「赤飯と清酒」
本膳のとなりには、もう一つ、白い布に包まれたお膳が届けられた。
それは小さな白木のお膳で、尾頭付きの鯛と赤飯、きんとん、二合瓶の清酒が乗せられていた。そのお膳には文書が添えられていた。

「連日のごとく出撃している特攻隊員に対し、その壮途にはなむけて出す料理でございます」
添え書きには、このように書かれていた。 昭和天皇と良子皇后は、長い間、黙ってこの料理をご覧になっていた。

前年の1944年秋、すでに負け戦の色濃いフィリピンにおいて神風(しんぷう)特別攻撃隊が出撃している。
特攻隊出撃の報を受けた昭和天皇は、「かくまでせねばならぬとは、まことに遺憾である」

と、軍司令部総長に強く言われた。軍司令部総長は恐れいって言葉も出なかったという。(後略)