>>876
昭和11年に陸軍の科研がレーダー研究を開始した時に、海軍も同様の技研がレーダー研究の提案を艦本に出したが「闇夜の提灯」で却下された 
イギリスがレーダー研究に着手したのが昭和10年、米海軍が最初のパルス式レーダーの実験をしたのが昭和11年なので、この時に海軍も研究に着手していれば英米にあそこまで遅れをとらなかったので「闇夜の提灯」が決定的な事件と関係者が口を揃えている訳だ
実際に海軍が正式にレーダー研究に着手して初めて赤城の反射波をとる実験をしたのが昭和15年の観艦式で、艦載レーダーの研究着手は実に昭和16年4月と大きく遅れた ドイツからウルフブルクの情報を貰ったのでそこからの立ち上がりはかなり早かったが、時既に遅しとなった 
海軍の射撃レーダーの場合は更に加えて基礎的検討をする時間が無かったのでメートル波で射撃レーダーを作ると言う誤った方針を決めてしまい四号二型に注力するも艦載すると全く機能しない事がわかり時間を空費する これが為に結局昭和19年に入ってもまともな射撃レーダーが存在せず、最後は一度役に立たないと放置状態になっていた二号二型の改造でそれらしきものを初めて作った所で力尽きると言う結果に終わった訳だ