ロシア皇帝は正教の総主教を廃止して
皇帝教皇となったが
いまのロシア・プーチンと正教も
近い関係にある

1721年以降
ピョートル1世は聖務会院(≒国会)の
下にロシア正教を位置づけ廃止
(英国国教やドイツ領邦君主のマネ
 プロテスタント的な
 ローマ・カソリック権威否定)

モスクワ主教区は皇帝教皇庁と改められ
皇帝が総主教となり(政教一致)
ビザンティンハーモニー(政教分離)とは
対立した存在になった

ソ連時代1917年にモスクワ主教区は復活し
現在に続く

こういう経緯もあり、また
アメリカの福音派(プロテスタント)の
保守的志向は正教会と共鳴する部分が多く
反リベラルで結びついている