>>260の続き

それと随分前の世界の艦船の記事で、太平洋戦争中の日本の商船建造数/トン数と、同年度の米国のソレを比較して暗澹たる
気分になったのを思い出した。

日本の年度別商船建造数と合計トン数

1939年   86隻  32万トン
1940年   92隻  30万トン
1941年   75隻  22万トン
1942年   81隻  24万トン
1943年  238隻  66万トン
1944年  675隻 163万トン
1945年  187隻  55万トン

合計   1434隻 392万トン

何と軍艦を除く商船の建造数は、戦争が始まっている1942年になってもたったの24万トンどまり。
流石に翌1943年度からは戦時標準船の量産が軌道に乗って翌1944年にはピークに達しますが、それでも163万トン止まり。
しかもこの数字は空母大鳳と雲竜型空母以外の大型艦新規建造をほぼ打ち切って達成した数字なのだから。

それに対して米国は総計2710隻のリバティ船と534隻のビクトリー船、そして500隻建造の1万トン級タンカーT2型、更に
C1-C4型の膨大な戦時標準型貨物船が作られまくり、それらの合計は1939年から1945年までの合計で約5600隻、
載貨重量トン数にして5600万トンというアホみたいな数字に。

ピーク時の年度だと軽く年産2千隻以上・合計2千万トン以上は作った事になるし、それとは別枠で膨大な軍艦も作るから、
これでは日本が戦時標準船計画を前倒しして史実の2倍や3倍作っても全然追いつかない。

そもそも1939-1941年度の日本は船舶をこれ以上作りたくてもドックが全然足りなかったし、開戦を間近に控えて海軍の
空母や戦艦の建造や大規模改修(そして艦隊駆逐艦の増産)で手一杯だったから、商船どころか護衛駆逐艦や海防艦などの
本来量産の容易な軽護衛艦艇すら、1942年後半になるまでドックの空きが無くまともに作れなかったのだから。