>>368
なら望み通り説明してやろう。
「飢えた者に食べさせよ」「見過ごせば地獄に堕ちる」というのはキリスト教における常識だ。

まず、マタイによる福音書25章41–46節
「呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
… お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず…
この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
これはイエス自身の聖句であり、飢えた者に食を与えない者は悪魔と同じ裁きを受けると最後の審判における断罪を明言している。

また、トマス・アクィナスは『神学大全』で「生存に必要なものを奪うことは盗むよりも重い罪」と述べ、
カトリック教会のカテキズム第2447条でも「飢えた者への施しはキリストへの奉仕であり、慈愛の義務である」と明記されている。
マルティン・ルターも『大教理問答』で、飢えた者を見捨てることは「神の名を汚す冒涜の罪」であるとした。
さらに現代においても、教皇フランシスコは2023年7月、ロシアによるウクライナ穀物供給妨害に言及し「神への重大な冒涜である」と強い表現で非難し、
同年の世界食料デーの公式メッセージでも「飢餓は、神から与えられた人間の尊厳に対する侮辱だ」と断言。
したがって、飢餓を人為的に引き起こす行為が“悪魔の所業”であるというのは、歴史的にも教義的にも正統な理解であり、「独自解釈」などではない。

この点を踏まえずに「中世にも兵糧攻めがあった」「アサド政権もやった」などと持ち出すのは、典型的なTu quoque論法にすぎない。
むしろ中世の暴力性や倫理不在を克服してきたからこそ、現代キリスト教社会ではこの倫理が国際法にまで組み込まれた歴史がある。
また、シリアにおける飢餓の利用についてはキリスト教圏を中心とする西側諸国において強く非難され国連安保理決議も出ていることを知らないのか。

結論、意図的な飢餓の創出は、「地獄に堕ちる」「神への冒涜」であり、キリスト教諸派が一貫して断罪してきた大罪。
こうした宗教的・文化的バックグラウンドを否定したいのであれば"思い込み"ではなく聖書的・神学的根拠をベースに論証しろ。