>>577
共産主義が悪い制度だったという認識は共有するが、ソ連の害悪をすべてイデオロギーの問題に帰すと、本質を取り逃す。
実際の問題は、一党支配と権威主義的統治によって、制度の中で表現の自由や司法の独立が形骸化される構造にある。これは単に共産主義体制の特徴というより、ロシアの統治文化と制度的慣性によって再生産されたものであり、プーチン政権に至ってもその傾向は継続している。
この制度的連続性は、ロシアだけでなく、ベラルーシ、チェチェン、沿ドニエストルといった地域でも観察される。
ベラルーシでは、選挙制度や議会は形式的に存在しているが、実質的には大統領による権限集中と反体制派への弾圧が続いており、司法は行政に従属し、報道の自由は限定されている。
チェチェンは、自治共和国の体裁をとりつつも、カディロフによる個人支配が実質的な統治形態となっており、武装勢力と忠誠契約による統制が行われている。制度は名目上維持されているが、実態としては家父長的な支配構造に近い。
沿ドニエストルは、選挙制度や統治機構を模倣しながら、ロシア語圏の支援と密接に結びついた寡頭支配が行われている。ソ連型の統制文化が色濃く残り、独立した司法や透明な選挙は機能していない。
こうした事例を見れば、問題の根幹は共産主義の理論ではなく、制度の枠組みがあっても実質的な民主的統制が機能しないこと、そしてその状況が歴史的・文化的に継続していることである。願望でも空想でもなく、観察と分析による構造的理解が求められる。反論するのであれば、具体的にどの制度が民主的に機能しているのかを示す必要がある。