>>432
事実として、1980年のソ連共産党書記長がレオニード・イリイチ・ブレジネフであり、彼の出身地が現在のウクライナ領であることは正確です。

ただし、彼がウクライナ人としての民族的アイデンティティを体制内で積極的に保持・表現していたわけではありません。

ソ連体制下では、非ロシア系の出身者であっても、政治的出世のためにはロシア語の使用、ロシア的価値観への順応、さらには体制への忠誠が求められました。ブレジネフ自身もロシア語話者であり、その政治的立場や政策内容は一貫してロシア中心主義の枠組みに沿ったものでした。

したがって、彼の出身地をもってソ連の体制的行動を「ウクライナ人によるもの」とするのは適切ではなく、むしろロシア中心の権力構造に忠実な指導者として機能していた事実に着目すべきでしょう。

彼の出身地がウクライナであることと、彼が体現した政策や権力構造がロシア的であったことは区別して捉える必要があります。