「日本に“第3の原爆”が投下されていた」の真相は…ソ連崩壊で表に出た“歴史の謎” 
現地記者が入手した「突拍子もない内容の手紙」【週刊新潮が伝えた戦争】 #戦争の記憶
デイリー新潮 8/13(水) 11:00配信

・ソ連崩壊で表に出た“歴史の1ページ”

>長崎に投下された原子爆弾は2個あり、1個は不発弾でソ連に引き渡された。 しかも、引き渡した人物は竹田宮恒久王――。
>“歴史の謎”として時折注目されるこの説、出所は1991年12月26日のソ連崩壊に際して発見された資料である。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ac8dbdba929cde52f67b1a29f32322bb832f13a3

いかにもMMRでキバヤシが開陳して「ナンダッテー!!」なリアクションの陰毛論だが、その種明かしは・・

(前略)
ロシアがロシア連邦としての一歩を踏み出すなか、次々と流出したソ連時代の機密資料は、モスクワに“歴史発掘”ブームを巻き起こした。
そこで発見されたのが「長崎の不発弾」に関する新資料だ。「関東軍がソ連に不発弾の提供を申し出た」
「関東軍から大本営宛てに『ソ連大使館へ渡せ』と指示する密電が存在する」といったその内容がドイツ誌に掲載されると日本に衝撃が走る。

とはいえ先に種を明かすと、日本側が話を持ち掛けたのは事実だが、引き渡しは行われていない。
なぜなら不発弾ではなく、原爆の威力等を測定する「ラジオゾンデ」だったからだ。発見された関東軍の密電にも赤字でそう書かれている。

この話が世に出た1992年当時、「週刊新潮」は新資料を発見したロシアのジャーナリスト、密電に「ラヂオゾンデナリ」と赤字で書き込んだ当の本人、
さらにその人物から「ソ連に持ち掛けたのはあの人だろう」と名指しされた人物から貴重な証言を得ていた。(後略)
-----------------------------------------------------------
要は終戦工作で少しでもソ連から有利な譲歩を引き出すためのハッタリであったと。

なおラジオゾンデの現物の一つは長崎の原爆資料館で展示
https://www.nishinippon.co.jp/uploads/image/308800/large_0c554652ba.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EfgN9Y7UYAABkX5.jpg:large