>>253
「一般向けに公開された最初の樹の画像は、ラビJoseph Gikatalia (1248-1323年) によって1290年頃に書かれたShaare Orah (光の門) のラテン語訳 (1516年) である『PortaeLucis』(光の門) に掲載されたと言われています。タイトルページには、座っている男が10個のセフェロスまたは球体を持つ木を手に持っている姿が示されています。」
https://i.imgur.com/BMqLnsc.png
後世のカバリストたちの生命の樹(上記)は、Athanasius Kircher’の『Oedipus Aegyptiacus』(1653)から引用したものである。

では、彼らがどこから『樹』を盗んできたのかを見てみよう:

https://i.imgur.com/436DOyv.png
約5000年前のアッシリアのレリーフ

生命の樹がスラブ語でも家系図と呼ばれていることは、非常に示唆に富んでいる。不死の遺伝子はサタンから私たちに与えられました、ですから、私たちの不死の可能性を実現するシンボルは、サタンの血統である私たちの血統に固有の可能性を実現するシンボルであり、家族のシンボルなのです。

https://i.imgur.com/1ZHTpxf.png
古代エジプト人の生命の樹。女神はカップに生命の霊薬、または『深淵からの水』とも呼ばれるものを注いでいる。Panekhsiの墓の壁画。テーベ。紀元前16-14世紀