13~15世紀頃のモンゴル支配で降伏しなかったり反抗したら
見せしめの虐殺や町ごと焼かれるとかやられまくった結果、
キチガイ支配の遺伝子がモスクワに刷り込まれた
さらに16世紀以降ロシア化していく際にもそれが引き継がれ
悪化した(その手のルーツはだいたいイワン雷帝)
西側は「タタールのくびき」をロシアの政治的発展阻害要因と学術的には
考えているが、ロシア自身は肯定的に評価している

占領地の住民を定期的にテキトーにえらんで
意味もなくリンチや拷問にかけて恐怖植え付けて反抗心を奪うのは
露助にとっては「当たり前」
GRUのみならず空挺や海軍歩兵とかも占領地やコンテンストエリアで
ある程度の住民への暴力を容認して反抗や抵抗する機運を奪おうとするから
ロシア兵が復讐されると相当ひどい目に合わされる