メディアを「疑う力」だけが育ってしまった...「ポストヒューマン時代」のジャーナリズムのかたちとは?
ニューズウィーク日本版 8/30(土) 10:20配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7934e3f83bcd3d36643043fa52b4f8b62871643?page=1

>【佐藤】 まったく同感です。私たちがオールドメディアに寄せていた信頼とは、個々のニュースの正しさというよりも、幾重ものチェック機能といった
>ゲートキーパーのシステムに対する信頼でした。

>【武田】 記者は直接取材して確信を持った事実をファクトとして書く。
>その上で、新聞社で言えば、キャップやデスクが見て、校閲がチェックし、さらに編集幹部からの指摘というように何重にもチェック機能があります。
>そうしたシステムが信頼されていたわけです。

>【佐藤】 ソーシャルメディアには、そうしたゲートキーパー機能はありません。

確かにSNSやネット掲示板にはその手の機能は無いが、ウソヒやバイニチみたいな左巻き老害メディアは、上から下まで余さず真っ赤っかな
思想や政治信条の左巻きに支配され、「垢に非ずんば人に非ず」な会社組織ではファクトチェックシステムなんぞ全く機能しないだろJK

>【佐藤】 ジャーナリズムは、正義へのこだわりがなければうまく機能しません。
>ジャーナリストが「自分の信じる正義」に従って記事を書くとき、もはや「真実か、間違いか」は二の次になります。そうなると客観報道ではなく、
>感情報道に傾いていきます。

>とはいえ、「心情倫理家は、純粋な心情の炎、たとえば社会秩序の不正に対する抗議の炎を絶やさないようにすることにだけ「責任」を感じる」と
>『職業としての政治』でマックス・ウェーバーは語っています。

>そうした「純粋な心情の炎」を、正確な事実やその結果責任よりも重視するジャーナリストはいまも少なくないでしょう。
>実は私自身もそうしたジャーナリストにそれほど批判的ではないのですが、ジャーナリストが心情倫理を結果責任よりも優先することを、
>ウェーバーもむしろ好意的に書いていますよね。

そういう「マスゴミの真実より思想最優先」「国益よりも左翼マスゴミ益最優先」の論調が自らの権威と信頼を不可逆的に棄損してきたんだが。