>>773
「民族」という概念自体が国民国家創設運動の過程ででっち上げられた怪しい代物なんで重心を掛けても仕方ない。
セントバーナードからチワワまでいるけれど生物学的には1つの種であるように、現生人類はホモサピエンスただ1種類しかいない。
言語的に言うと、沖縄の言葉と九州から本州の言葉は同根でそれぞれは方言に過ぎない。今は沖縄も含めて文科省とNHK他の影響を受けて皆同じようにしゃべっているけれど、これらがない江戸時代以前は話し言葉の差は非常に大きく互いに通じなかったという。じゃあ、どうすんの?となるが、書き言葉は元が漢文だから全国共通なんで筆談した由。もっというと、漢文はアジアでは広く学ばれたから筆談なら通じた模様。開高健がベトナムの坊さんと漢文で筆談した話を書いていた。台湾を含む中国国内も今は北京官話が普及してるがそれ以前は通じなかったので漢文筆談でコミュニケーションしたそうな。
中国人京大院生に”簡体字と繁体字、日本式漢字とあるがよくわかるね?”と聞いたら、”根性ですよ”と言っていた。今思うと、超秀才に馬鹿げたことを聞いたものだと反省してる。
とまあいうわけで、沖縄〜本州の人間は同じグループに括れるが、生物学で言うところの「隔離」が起きて言葉や文化についてはそれぞれ独自の変化を遂げた。でも基本は同じなことはそれぞれの言葉の違いが一定のルール(語尾がアなのがイに変わる式な)で変化してることからわかる由。まあ、DNAを元にした考古学的にも言えてることだわな。