「令和の郵政解散」は幻に 石破総理、わずか1年で退陣へ「権力の使い方も手放し方も知らなかった」(ABEMA TIMES 9/15)

(前略)
 それでも、もし「やけくそ」で解散を強行したらどうなっていたのか。 「自民党の党紀委員会にかけて総理を除名してやろう」そんな声が聞こえていた。
閣僚からも総裁選前倒しに賛成する声も出ていた。 解散のために開く閣議では半数以上の閣僚が解散のサインを拒否したに違いない。
郵政解散では島村農水大臣が署名を拒否して罷免された唯一の例がある。 今回の解散なら、一人ではとてもすまなかっただろう。
半数以上の閣僚をその場で罷免して、その罷免した閣僚をすべて石破総理が兼任してまで解散を打つのか、という状況であった。

 総裁選前倒しの意思確認前なら裏金議員だけを非公認にすれば良かった。 しかし、前倒しの意思確認後では100人以上を非公認にしないといけない。
郵政解散の時の造反は37人、刺客は30人程度だった。 とても今から準備して間に合う人数ではない。
確かに理論上は国会閉会中のいまでも解散はできた。 石破総理はわざわざ内閣法制局に確認までさせたという。
ただ、それは現実的には「まさに絵に描いた餅」にすぎなかった。

 将棋のプロ棋士がはるか何手先まで読んで自らの負けを悟るように、完全に詰んでいたのだ。
総理経験者の一人はあきれたように「石破さんには戦略がない」「権力の使い方も手放し方も知らなかった」と解説する。

 石破総理は、総理になる前、毎日のように国会図書館に通って読書にいそしんだ。
読書で得た豊富な知識は答弁やスピーチでは生きたかもしれないが、人事を使って権力装置を整えるという肝心の下準備を怠ったため、不発に終わった。

 最後の最後まで退去を迫られながらも籠城し、抵抗を続けた「令和の東大安田講堂」はこうして無血開城で幕を閉じた。
石破総理は退陣会見で、「まだやり遂げたいとの思いもある中、身を退く苦渋の決断をした」と述べた。
失意のまま、たった1年で総理官邸を去ることになった石破総理は、周囲に「結局、俺はどうすれば良かったんだろう」と語っているという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a11655cdf9a4831a55eb6b6400c3923c6a77c08

要は「ゲルは総理の器に非ず」だ。