京都駅の被差別部落・崇仁地区と松浦グループは深い繋がりがありました。
京都市の最大の被差別部落と言われているのがJR京都駅の東側にある崇仁地区です。
>>446
崇仁地区は全国でも最大規模の被差別部落と言われています。
崇仁地区、東九条には明治から戦後にかけてコリアンの人たちが8万人以上住んでいました。

戦後、それらのコリアンの人たちは朝鮮に帰ることなく崇仁地区、東九条に住み続けました。

崇仁地区を統括している崇仁協議会と松浦グループは深い関係がありました。
全国の被差別部落、同和のドンと呼ばれているのが朝堂院です。
崇仁地区の3300坪の土地を所有していたのは朝鮮総連系の企業でした。
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武富士を崩壊に導いたのが京都の同和地区の崇仁地区の用地買収でした。
1985年、武富士会長の武井保雄のところに京都の七条の崇仁地区の開発案件が持ち込まれました。

武富士の武井保雄は顧問の芙蓉の谷口美雅(笹川陽平の配下)を通じて朝堂院、笹川陽平に後ろ盾となってもらい崇仁協議会を設立しました。

崇仁協議会の初代会長には地元の暴力団の内浜会の元組長で全日本同和会洛南副支部長の藤井鉄雄が就任しました。
幹部には全日本同和会洛南支部長の高谷泰三が就きました。

石高嘉昭は事務局長に就きました。武富士の顧問の芙蓉の谷口美雅(笹川陽平の配下)

武富士によって買収された崇仁地区の土地は笹川陽平傘下の朝鮮総連系の会社に売却されました。
崇仁地区は会津小鉄会の組員らも多く住んでいて