ロシア伝統の「人海戦術」は、帝政ロシアからソ連、そして朝鮮戦争の中国人民志願軍に至るまで続く軍事的伝統だ。

独ソ戦や朝鮮戦争では、小部隊を多方向から波状的に投入し、防御側の火力と指揮を飽和させることで混乱を誘う戦法が多用された。防御側は敵の侵入方向や規模を把握できず、リソースを分散させた結果、指揮系統が麻痺し、防衛線が崩壊する。これが「戦場の霧」を前提とした伝統的な人海戦術の本質だった。

だが現代のウクライナでは、この伝統がもはや通用していない。最大の要因は、衛星偵察やドローン、電子情報などによるリアルタイムの戦場可視化だ。いまや大規模な兵力移動は完全に監視下にあり、ロシア軍が小部隊による浸透戦を仕掛けても、ほぼ即座に発見される。奇襲は成立せず、「どこから攻撃されるかわからない」恐怖も失われた。

結果としてロシアの波状攻撃は、心理戦ではなく物理的な資源消耗戦へと変質した。

敵の指揮を飽和させるのではなく、ウクライナの弾薬・ドローン・人員を削るために兵士を投げ続けているのが実情だ。

ウクライナ側も、かつての米軍のように情報遮断で総崩れすることはない。ドローン映像などで戦況を把握し、「弾薬が尽きる」「包囲される」と判断すれば、全滅を避けるため計画的に後退する。

混乱ではなく合理的な判断による撤退である。

結局、ロシアの人海戦術はドローン時代に適応できず、「見えている消耗戦」へと変わった。これは戦略というより、犠牲を重ねて前線を維持するための苦肉の策にすぎない。