キエフ(キーウ)/キエフ公国/キエフ=ルーシ
https://www.y-history.net/appendix/wh0601-125.html
ノヴゴロド国を建てたノルマン系のルーシがさらにドニェプル川中流に進出して建国。その地のスラヴ人と同化し10〜13世紀にキエフ(現在のウクライナの首都キーウ)を中心に繁栄した。現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシのもととなった。13世紀モンゴルのバトゥの遠征軍によって滅ぼされた。

キエフの始まり

 ウクライナの中心都市キエフ(現地のウクライナ語の発音ではキーウ)は、12世紀頃に編纂された東スラヴ人最初の歴史書『原初年代記』によると、東スラヴ人の中のポリャーネ氏族の三兄弟キー、シチェク、ホリフの三人がこの町を開き、長兄の名前に因んでキエフとしたという。現在もキエフの町のドニェプル川沿いの公園にこの三兄弟の像が立っている。東スラヴ人は、カスピ海北岸のトルコ系のハザール=カガン国との交易を行っていた。<以下、黒川祐次『物語ウクライナの歴史』2002 中公新書 p.29 などによる>