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キエフ公国の建国

 9世紀末、ノルマン人の大移動の動きの一つとして、ヴァイキング(またはヴァリャーグ人。彼らは自らをルーシと称した)を率いたリューリクはノヴゴロド国を建国した。その一族のオレーグは、ビザンツ帝国との交易の利益などを目指して南下し、882年、ドニェプル川中流のキエフを占領、都をノヴゴロドから移した。オレーグはさらに南下してビザンツ帝国を脅かした。これが実質的なキエフ公国(キエフ=ルーシ)の成立であるが、オレーグの死後、912年、リューリクの子のイーゴリが大公として治めることになり、正式に公国となった。その過程でルーシは東スラヴ人に同化していった。またこの間のことをロシア史では「キエフ=ルーシ」といっている。ロシアといってもほぼ現在のウクライナにあたる。 → ロシア国家