>>982
(略)
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キエフ公国の分裂

 11世紀後半になると、キエフ公国の南からトルコ系の遊牧民ポロヴェツ人が侵攻するようになり、それとの戦いに悩まされ(伝承の『イーゴリ軍記』はポロヴェツ人との戦いが舞台となっている)、12世紀には大公ウラジミール=モノマフが一時態勢を持ち直したが、その死後再び一族の内紛が起こり、10〜15の公国が分離独立し、キエフ大公国はその中の一つにすぎなくなってしまった。分離独立した公国には、ウラディミルを都とするウラディミル大公国が最も有力であり、北東のモスクワ公国が次に台頭していくこととなる。モンゴルのバトゥの遠征軍が侵入したころのキエフ公国はこのような分裂状態にあった。