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モンゴルの襲来

 1206年、モンゴル帝国を建てたチンギス=ハンは1223年にポロヴェツ人を攻撃、ポロヴェツ人はルーシに援軍を求めた。ルーシは援軍を派遣して戦ったが敗れた。これはモンゴルの最初の偵察行であったらしい。次いでオゴタイ=ハンはバトゥを総司令官としてルーシ征服の遠征軍派遣を決定し、1237年、バトゥの率いるモンゴル軍はロシアに入りリャザン、モスクワに次いで1238年にウラディミル大公国を攻撃して、占領した。さらに1240年にモンゴル軍はキエフを占領、キエフ市街は炎上して、キエフ公国は滅亡した。
ハーリチ=ヴォルイニ公国 キエフ公国は滅亡したが、その一つの地方政権であったハーリチ=ヴォルイニ公国は、ウクライナ西部の現在のガリツィア地方で存続していた。モンゴル軍に抵抗を続け、結局はキプチャク=ハン国に朝貢して従属したが、独立国家としては存続した。ウクライナの歴史では、これがキエフ=ルーシ公国を継承した国であり、同時にウクライナ人として最初に作った国家であるとされている。しかし、1340年代になると、この国は北をポーランド、南をリトアニアに併合され、消滅してしまった。