仮に陸軍がハ40を導入せず性能面で採用が遅れてた一式戦や一撃離脱の重戦である二式戦の保険として
川崎に金星搭載で戦闘機を試作させて三式戦の性能で空冷化したような機体が完成してた場合
エンジンの問題が起きないことから1942年後半には量産開始できてたと思われる
最大速度540キロ程度か?
100式司偵が金星62型搭載のV型開発した時期考えるとこの二式中戦とも言うべき川崎の戦闘機もエンジン換装するだろうから
史実の五式戦と同等の戦闘機が1943年の終わり頃には出てくる
1944年の陸軍の戦闘機は一撃離脱の疾風と格闘戦もできる二式中戦の二本立てになる
誉の運転制限問題なんかが出てる間に疾風より二式中戦を回せって話になって中島での隼の生産は打ち切りになって
転換生産で二式中戦を作らされそうな予感