>>405
幸いにして番組の書き起こしもある。
歩兵第65聯隊と行動を共にしていた山砲兵がその時に書いた日記の記述
『12月14日 途中、敗残兵を1800名以上捕虜にし、その他、たくさんの正規兵で、合計5000人の敗残兵を捕虜にした』
『12月16日 捕虜せし支那兵の一部五千名余、揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃を以って射殺す。その後、銃剣にて、思う存分に突き刺す。自分も此の時ばかりと、30人も突き刺したことであろう。
山となって居る死人の上をあがって、突き刺す気持ちは、鬼をもひしがん(?)勇気が出て、力いっぱい突き刺したり。
ウーンウーンと呻く支那兵の声。一人残らず殺す。刀を借りて、首をも切ってみた』
この日記を書いた山砲兵第19聯隊・元上等兵のインタビュー
「機関銃を持ってきて、バババーッと捕虜に向かって撃っちゃったんだ。捕虜はそりゃあみんな死んだけれども、中には弾に当たんねえ兵隊がいっかもしんねえから、みんな着剣してその、死骸の上を突いて歩け」と。
ザッカザッカ突いて歩いた。もうおそらく、そうだなあ、30人くらい突いたと思うが、うん。
何万という捕虜は殺したのはこれ、間違いねえ」