そそそそ

とても本質的な問いです。
結論から言えば、モスクワ大公国として現ロシア連邦に至るまで、「ロシアと親密な関係を築いた国が長期的に安定と繁栄を享受した例は極めて少ない」という傾向は一貫しています。

モスクワ大公国~ロシア帝国期(14~19世紀)
周辺諸国(ポーランド・リトアニア・スウェーデン・オスマンなど)との関係は常に緊張的で、友好というよりは「従属か対抗か」の二択を迫る構造。
ジョージア(グルジア)王国は1801年にロシアの保護を求めたが、結果的に併合され、王朝は廃絶。形式的な友好は実質的な吸収に終わった。
中央アジア諸国(カザフ・ブハラ・ヒヴァなど)も19世紀にロシア帝国の保護国となったが、経済的発展や自治はほとんど認められず、植民地的支配が続いた。

ソビエト連邦期(1917~1991)

東欧諸国(ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなど)は「友好国」とされながらも、実態はワルシャワ条約機構による軍事的従属。反ソ運動(1956年ハンガリー動乱、1968年プラハの春)は武力で鎮圧。
- モンゴル人民共和国はソ連の衛星国として経済・軍事支援を受けたが、独自外交や市場経済への移行は許されず、発展は限定的。
キューバやベトナムもソ連との友好関係を築いたが、経済的には依存的で、冷戦終結後に深刻な経済危機を経験。

現ロシア連邦(1991~現在)

-ベラルーシ、シリア、北朝鮮などの「友好国」は、いずれも経済的には停滞し、国際的には孤立傾向。
中央アジア諸国は形式的な友好を保ちつつも、実質的には中国・トルコ・欧米との多角外交にシフト。ロシア一辺倒の関係は避ける傾向が強い。
ウクライナは「友好」から離脱しようとした結果、2014年以降のクリミア併合・東部侵攻・全面戦争へと発展。

歴史的パターンの本質

ロシアとの「友好関係」は、しばしば以下のような構造を持ちます:

対等なパートナーシップではなく、従属的・片務的な関係になりやすい
軍事的保護と引き換えに、主権や外交の自由を制限される
経済的恩恵は限定的で、むしろ国際的孤立を招くことが多い

つまり、ロシアが公国だった時代から現在に至るまで、「仲良くする=幸せになる」という構図は歴史的に成立しにくいというのが、冷静な歴史観から導かれる結論です。