天皇の責任を問うたのは井上清の『天皇の戦争責任』が嚆矢であった」と書いている[9] 。

井上清の主張は次のようなものだった。

昭和天皇は帝国憲法第1条、第3条、第4条において、統治者であること、神聖さ、元首である事が規定されており、大日本帝国の唯一最高の統治者であった。もし裕仁個人が戦争を欲しなくて、臣下に仕向けられたとしても、「結局は天皇が戦争を決意することによってしか」戦争はできない。
「天皇は日本軍隊唯一絶対の統帥権者であった」。天皇は憲法第11条と勅諭によって軍の統帥権者であるとともに忠君の道徳が強調され、上官の命令は天皇の命令として遂行する事が正当化された。参謀本部等は天皇のみの命令を受ける機関であり、規定、命令等は全て天皇に報告され、裁可を受けて天皇の命令として伝達・実施された。統帥権者である天皇が命令指揮しない戦争はないのであり、これだけでも「責任は疑う余地がない」。
さらに天皇は憲法第1条と第3条に規定される神的権威をもっていた。1868年(新暦における明治元年)に天皇が統治者となった時から、政府は「天皇が神の子孫であり、正当支配者であり、日本の国民は天皇を無限に尊崇し、絶対に従わなければならない」という思想・信仰を憲法と教育勅語に経由し3代(明治天皇、大正天皇、昭和天皇)にわたって国民に植え付けた。こうして「天皇の権威が日本国民をあの戦争へと駆り立てた」のである。1931年から1945年に至るまでの戦争は「犯罪的侵略戦争」であり、天皇は責任を負わなければならない[10]。
昭和天皇が死去した1989年1月7日、日本共産党が「天皇裕仁は侵略戦争の最大かつ最高の責任者」とする中央委員会声明を発表している[11]。