戦前の陸軍の長州閥がよくわかりません

質問1
山縣有朋や桂太郎や寺内正毅や田中義一の長州閥はわかるのですが
田中義一が長州閥の首領だった頃には山縣有朋の下で要職を勤めていた上原勇作が反長州閥の首領となって抗争をしています
派閥が分裂したのでしょうか?

質問2
田中義一が政友会で政界に進出すると山口出身ではない宇垣一成が派閥を引き継いて民政党内閣で軍縮を行いつつ
山口出身ではないものの田中の部下である南次郎や金谷範三などが陸軍で重用されていますが失脚しますと
皇道派や統制派が実権を握るようになって二・二六事件が起きました
そして広田内閣が発足すると寺内正毅の息子による割腹問答で倒閣すると、流産したものの宇垣内閣案が浮上していますし、
近衛文麿内閣の頃に日中戦争が始まった後でも間を挟むように田中の元部下の阿部信行が140日
東條英機が退陣したあとに小磯國昭が260日総理大臣を勤めており完全に宇垣閥が失速したわけではなさそうです
長州閥は宇垣閥となった後には山口出身者は表には出てこなくなりましたが
寺内正毅の息子のように暗躍していたのでしょうか?