ごめん、続けてだけど質問させて欲しい

将棋I(1977)では増川宏一さんは「海のシルクロード(インド→東南アジア→中国南部→日本)で将棋が海路で伝来した。船員達は木片等を使って簡易的な駒で将棋を指すところを西日本沿岸の庶民に見せたと推察される。また、この頃の庶民は識字能力が低いので、この将棋の原型が貴族に伝わってから駒が漢字化されたと推察される」
というようなことを要約すると言ってると思うんですが
将棋の歴史(2013)では「航路で中国南部を経由したことで徐々に駒を文字で表す方法になったのだろう」としています

いくら航路で駒が漢字化されたところで日本沿岸の日本人に識字能力がなく、しかもそれが木片や貝殻等の使い捨ての駒であったのなら漢字は保持されずに無意味なのでは?
この2書の間でどういう風に意見が変わったんでしょう?


そもそも将棋の起源が気になったのは将棋の渡辺くんにそこらへんの話が載っていた影響なのですが、具体的には
「マークルックが中国南東部の漢字など文化の影響を受けながら海路で日本に伝わったのが有力説です」と書いてありました
こういう説が一般的なのであれば、同様に「当時の日本庶民識字能力低かった説」についてはどういう見解なのか詳しい方がいらっしゃったら教えて欲しいです🙇