蓮實さんがこないだのインタビューでブランショは散文のフィクションが持つ通俗性に耐えられなかったんじゃないかと言ってて何か違和感があった。
ブランショは確かにそうかもしれない。しかし蓮實さんの批評は散文あるいは映像によるフィクションからフィクション性や通俗性をカッコに入れて乱暴に言えば小説や映画を美術品か工芸品みたいに扱うのが肝だったわけでしょ?

確かに小説や映画を擁護してるのかもしれない。でも通俗性を擁護してるとは思えないんだよなという。