理論じゃなく、感じだよ。
わたしの印象では、
小朝より少し上あたりの年代から、「知識としての落語」になっちゃったんだな。
非常に勉強していている人は、昔のことも調べたり、いろんな芸事などもやったりして、知識的には豊富で、また器用んだろうけれども、
なんだかわたしとしては、まるで疲れるために落語を見る、みたいな感じになったんだね。