>>390
コミュニケーションにもいろいろな主客さまざまな場面それぞれの事情が
ありましょうけれど、ごく卑しい手近な範囲の会話おつきあい、てことに
限れば、面倒や無駄を避けるため私が気を付けてることはあまり多くありません。
私が行楽や観光、飲食時の会話などで守っているルールはこれです。
好き嫌い、賛成反対、興味やる気の有無はきっぱり明快簡潔に短く表明して、
相手にものごとの善悪優劣を謂わない。目の前にいる人の話をさえぎらない。
時空の法則と社会の法制、相手のある約束事、ご近所への体裁義理ごと、
家計とふところ具合、命と健康とが絡まない限り「だめ」をいわない。
これです。経験上これ以外の「だめ」「悪い」というのは、なぜだめかを
説明するのに時間とコトバがかかかりすぎる。ニンゲン、ダメとか悪いとかの
話を30秒以上していると、飯や酒やタバコがまずくなり、鉛筆を削ったり
キャベツを刻んでると手が遅くなり、踊っていると足が止まり、運転してると
高速の出口を通りすぎたりしちゃう。少なくとも私に関してはそうなので、
このためにさらに要らんケンカがおこったりもします♪
若い頃、飲み会でかわいい女の子を口説こうと思っていたのに、上司同僚
お客について「いかに悪いか」「どうダメな人か」を論じる集団に捕まって
しまい、できたはずの恋を逃がしたなんてことは何度あるか知れない。
悪口だとか議論てのは、心配と同じくらい心のくたびれるものです。
ちんちんの血流にも影響するような気がする。

会話において「だめ」「悪い」の長たらしく詳細かつ具体的な説明ってのは、
「きらい」のヘリクツや「いや」の言い訳でしかないような気がするのです。
ですから「ちょっとそこへお座んなさい」とこわい顔を顔をして重要家族会議や
お説教で一方的通達や全力の説得をするとき以外、私は善悪優劣の話を
つとめて避けることにしてます。
だまされたと思ってやってごらんなさい。これだけで、ご夫婦ご家庭の
週末ロングドライブ中に突然やってくるあの重苦しいふくれっ面の沈黙を
耐える時間が激減し、一家惨殺の脅威を遠ざけることになるはずです。

いやあ長くなったなあ♪