エマーソンとメシンガーによれば、
【トラブルとは,最初は「何かがおかしい」と曖昧に
感じられるものであり,また,何らかの手立てを講じなければならないと認識され
ることから始まる.
そしてそこには,定義に関わる要素と解決に関わる要素があるという。それゆえ,何らかの手立てが講じられることにより,
そのトラブルの輪郭が明確に現れてくる。むしろ,「そのトラブルが『本当は何か』
の最初の定式化は後続の解決策によって規定される】のだそうだ。

問題は、「なにかがおかしい」という違和感、なんらかの心地の悪さ、そうしたことが何故のものなのか、
規定する過程において、フーコー的にいえば、すでにミクロの権力が作用しているわけです。
平野啓一郎という人は、若いことから、そうしたことについて麻痺的な鈍さがある。
曖昧模糊とした状態から問題を見出す能力が根本的に欠けており、出来合いの問題意識からしか発言できない。
ほんとうは、全く向いていないのだから文学などやらないで、
あてがわれた問題を処理すればよい市役所や都道府県庁の職員などになればよかった人だろう。