ギッと椅子の軋む音がする。四十ばかりの男性教諭は、自分が呼び出した女生徒を厳しい表情で見上げた。
 何事かと、そこかしこのデスクで仕事をしていた教諭たちが、この二人組の様子を窺う。職員室には音立てることを憚るような空気が流れた。
「桐山、どうして読書感想文の宿題だけ出さないんだ?」
 桐山と呼ばれた女生徒は押し黙る。――反抗的というよりも、どう返事をすればいいのか戸惑っているように見受けられる。
 桐山という女生徒は、染めたことが一度もなさそうな黒髪を長く伸ばした小柄な女子で、どこか野暮ったい黒縁眼鏡を掛けている。夏休み明け、まだ残暑も厳しい季節なので、涼し気な半袖シャツを着ているが、襟元のタイは生真面目にしっかりと締められている。
 不真面目な生徒には見えないが、どうやら夏休みの宿題の一つである読書感想文を提出していない、それで呼び出されたらしい。
「……桐山、だんまりじゃ、何も伝わらないぞ。あの本、面白くなかったか?」
 その問い掛けにも女生徒は何も答えない。男性教諭はがしがしと頭を掻いた。
「真面目くさった昔の名作じゃお前たちも嫌がるだろうと、去年人気を博した本を選んだんだがな。天才女子中学生作家現る! だったか? お前らと同年代の作家の本だから、感性が合わないということもないだろ?」
 男性教諭は今一度促すような視線を向ける。が、やはり女生徒は押し黙ったままだ。
「桐山! いい加減に……『谷口先生!』」
 男性教諭の声に割って入る声が上がった。
「……何ですか、児島先生?」
 男性教諭は横槍を入れてきた人物に視線を向ける。視線の先にいたのは、まだ若い女性教諭であった。
「あの、私に任せてもらえませんか!」
「は?」
「桐山さんのようなおとなしい生徒に、そういった聞き方では委縮して何も答えられないと思うんです。批判するようですみません。でも、私が聞き出しますので、どうかお願いします!」
 頬を紅潮させながら、まだ若い女性教諭は言い切ると、がばっと頭を下げる。
「いや、児島先生……」
 突然のことにうろたえる男性教諭を尻目に、頭を上げた女性教諭は『おいで』と女生徒を手招きする。
 それでも女生徒はどうしたらいいのかと、男性教諭と女性教諭の顔を交互に見ていたので、女性教諭は女生徒の手を取って、職員室から連れ出していった。

「あの、どうして……?」
 廊下を歩きながら女生徒は、前を行く女性教諭に尋ねる。女性教諭は足を止めて女生徒を振り返った。
「桐山さんは真面目な生徒なのに、感想文だけ出さないなんて、何か理由があるのだと分かるわよ」
「えっと……」
「それに桐山さんって本が好きでしょ? いつも昼休みに図書室で見掛けるし。それが感想文を出せない。きっと、桐山さんは昔の私に似ているのかなって。うん、内向的な所とかそっくりだわ。ねえ、課題図書は面白くなかった? 何も思う所はなかったのかしら?」
 女性教諭は女生徒と目を合わせながら、優し気な声で尋ねる。
「いえ、思う所は沢山。それこそ溢れ出すくらいありますけど……」
 女性教諭は嬉しそうに破顔する。
「そうよね! でも、その内心を正直に感想文として綴るのが気恥ずかしい。いいえ、綴った感想文を他人に見せたくない。違うかしら?」
「えっと……」
 女生徒はまごついたように口籠る。女性教諭はみなまで言うなとばかりに頷くと、一つの提案をする。
「感想文は原稿用紙丸々一枚あらすじで埋めて、最後に取って付けたように『面白かったです』とでも書いて提出すればいいわ。でもね、代わりに誰にも見せなくていいから、自分の気持ちを正直に綴った感想文も書いてみて頂戴。ね、出来るかしら?」
「……はい」
 女生徒はぎこちなく頷く。それを見てとり、女性教諭は花開くような笑顔を浮かべた。


 女性教諭と分かれた女生徒は、下校中に鞄から一冊の本を取り出す。それは課題図書であった。その表紙を一瞥して、はあと溜息を吐く。
「……自分の書いた本に、感想文とかないわー」

 昨年若干14歳にして文壇デビュー。天才少女の名を恣にした現役中学生作家。それは、たった今憂鬱な表情で下校する女生徒のことであった。