私がNYにある児童養護施設、ケイティーハウスへ取材に訪れたのは一九七二年の夏のことだった。まだ黒人差別の激しい時代だった。そんな世相の中でケイティーハウスは白人、黒人の区別なく不幸な子供たちを救済していた。
 ケイティーハウスは少し大きくはあるが、とてもくたびれた木造の一軒家だった。あちらこちらの木が腐りかけ、白いペンキが斑状に剥げている。
貧しさを感じさせる家だった。しかしその壁に描かれた幼児のお絵描きだけは、幸せの気配を私に感じさせた。
 施設の運営主であるケイティーは七十を過ぎた女性だった。私と同じ白人である。皺深い顔に気難しさが刻まれているような女性だ。眼光も厳しい。やりにくい女性だと思った。
 取材は居間で行われることになった。ケイティーが一声掛けると、居間で遊んでいた子供たちは素直に出て行った。
「初めまして、ベンです。取材の趣旨は電話でお話ししたと思いますが」
 ケイティーは緩慢な動作で頷いた。老いを感じさせる動きだった。
 この女性が黒人排斥運動の第一人者だったと誰が思うだろう。
「私がお尋ねしたいのは貴女の心が変わった理由です。貴女は黒人を憎んでいらっしゃった。それが今は黒白の別なく救済している。とても不思議なことだ」
「……心など変わっていませんわ」
 彼女はまっすぐ私を見て言った。それから首を振った。
「いえ、これは正確な表現じゃないわね。私自身にも私の心がどうなったのかわからない、と言うべきかしら。でもきっかけは……貴方、ジョーの事件はご存知なのでしょう?」
 私は無言で頷いた。彼女が過去に起こした若い黒人への殺人未遂事件である。未遂であるのに二人の黒人犠牲者がいる変わった事件だ。
「そうです、私は過去に黒人を殺そうとしたほど憎んでいた。実際にジョーを殺す寸前だった。ところが彼の黒人仲間に反撃され撃たれそうになった」
 それをジョーが咄嗟に庇った。ジョーは死に、撃った仲間は発作的に自殺をしたという。
事件の発端は彼女だったが、実際に手を出してないこともあり、軽い刑で済んだのだった。それからだ、彼女が変わったのは。
「救われて目が覚めた、とか、ジョーの勇敢さと優しさに好きになった、とか、そんな薄っぺらなことを言うつもりはありません。でも、そうね……」
 彼女はふっと、おかしそうに微笑った。
「私は人間だった。きっとまだ、ギリギリで人間だったのよ。救われた恩義は返さなくちゃいけない。そう思った」
 ケイティーは深く、締め括る様に言った。その時だった、二人の子供が入ってきた。七歳ぐらいの黒人の男の子と白人の女の子だ。
男の子は腕白を絵に描いた様な子で、でもとても優しい目をしている。女の子は人形のように愛らしく、柔らかな表情をしていた。二人は部屋に入るなり、クレヨンでお絵描きを始めた。
「あ、いいですよ」
 ケイティーが追い出そうとするのを止める。私は小さく笑いながら二人を見つめた。
 ケイティーは疲れた声で言う。
「人々の間で差別がなくなることはきっとありませんわ」
「そうでしょうか」
 私が言うと、彼女は少し驚いた顔をした。
「先のことは誰にも分りませんよ」
 あるいは――そこにいる二人の無垢な未来たちが何かを変えるかも知れない。私はふっと、そう思った。見ていると、男の子と女の子がお互いを憎からず思っていることが分かったからだ。
いつだって何より強いのは愛の力なのである。だから、きっとケイティーもジョーを……。
「そうだ」
 私は思い出したように言った。
「実は私も昔は貴女と同じだったんですよ」
 私が突拍子もなく告白するので、ケイティーはビックリして目を丸くしてしまった。私は今日初めて彼女の素顔を見た気がして、大いに笑った。
 そう、未来だって人の心だってきっと変えられるのだ。