『男女の仲〜僕はたぶん三人目だと思うから』

「ダメだぁ、煮詰まったぁー!」
僕はパソコンモニタの前で着地ポーズを決めると、少し気分を変えようと思い、ふらりと外に出た。
アパートの側の路地を二ブロック歩くとそこには小さな公園がある。
夜の公園には誰もおらず、道路脇の街灯がぼんやりと静かに光っているだけだ。
「ダメよ、アーサー、私達は兄妹なの。いいじゃないかルース、父親が違えば……違えば、あーくそっ」
 いきなり道ばたで一人芝居を始める僕は、端から見たらかなりヤバイ人だろう。だが、この作品が当たれば収入が入ってくる。
作家は名乗れないかもしれないけれど、作家気分を味わえるのはとても幸運だ。
 尻ポケットに入れていたスマホが鳴るのでビクッとして取る。テーマソングはもちろんロッキーだ。
「はいっ、エイドリアン!」
 あ、間違えた。
「ふう、私、電波文庫の牧島と申しますが、この番号はDTさんのお電話番号で間違いないですね?」
「あ、はい、そうです、い、いつもお世話になっておりましゅ」
 くそっ、噛んだ。編集担当の牧島さんはちょっと怖い人なので、いつも緊張してしまう。どうして若い女性なのか。
男性編集者なら、もう少しまともに話せたはずなのに。
「こちらこそお世話になっております。先日の打ち合わせで話したifルートの件ですが、進捗状況をお聞かせください」
 来たよ、来ちゃったよ?
 明日の朝までには必ず提出します、僕を信じてください!と頼み込んだ一件だ。
 文字数は一万字の短編。
 一万字程度なら、ウェブ小説で百万字の長編を連載している僕なら余裕、そんなふうに思っていた時期もありました。
 しかし、現実は世知辛い。調子の良いときには一日一万二千字を打ち込むこともあった超絶ハイパースピードの僕の指が、アイディア枯渇で一行も進んでいない。
ハイパーDTさんは相手もいなかったのに数ヶ月前にお亡くなりになりました。
「楽勝ですよ?」
 などと言っていた過去の自分をワンパンしたい。
「今、3……いえ、5ページくらいかなー……」
「火曜日には間に合いそうですか?」
「はい、たぶん大丈夫です」
 ああん、よして、そんな嘘はダメよ。自分に正直になって! みっくん!
「……分かりました。それでは夜分遅くに申し訳ありませんでした」
「いえいえ」
「失礼します」
 通話が切れる。どっと汗が出た。ジャージの内股が張り付くってどんだけだよ。
下手したらお漏らししてると勘違いされるんじゃないかな? これ。
「……帰ろう」
 ロッキー3で相棒ミッキーが死んでしまったときのように僕はすすけた背中でとぼとぼと家に向かった。
「んん?」
 途中、歩道で向こう向きでしゃがみ込んでいる小学生くらいの女の子がいるのが気になった。
「お、お嬢さん、どうかしましたか?」
 小学生相手に敬語になってしまったが、そんなことはどうだっていいんだ。
 お腹でも痛いのかなと思ったが、その子はこちらに背を向けたまま、すっくと立ち上がると、ブルブルと震え始めた。
 ――これは!
 僕はとっさにアスファルトを蹴り飛ばし、後ろに跳躍する。
 ビュッと蛇のように伸びた少女の髪の毛が、今その時まで僕が立っていた地面のアスファルトをボコォ!とえぐった。
「久しいのう、光秀」
 少女の頭が食虫植物のように二十センチ以上にわたってぱっくりと割れ、赤い血に染まった無数の牙が妖しくうごめいている。
その大口から、老婆とも幼女とも区別がつかぬ、しわがれた声が聞こえてきた。
 嗤ってやがる。
 総毛立つ。
「お前は! 信長――いや第六天魔王! 生きていたのか!」
「こうやってお前と遊ぶのが愉快でのう、地獄から舞い戻ってきたのよ」
「くっ、出でよ、村雨!」
 妖刀を手に握って斬り込みつつ、再び彼女と再会できたことで心底喜んでいる僕を認識していた。
 どうやら火曜日の締め切りは守れそうにない。