>>516
アリではあるが、それは>>511の疑問である「恒久的な軍事基地(=壁に囲われている)は自然と街へ発展するものなんじゃないか?」に対する回答ではないよね

と言うか、中世欧州に城砦が少なく城郭都市ばかりなのは古代ローマ帝国の方針で、軍事拠点(=城砦)には必ず商人の活動拠点(=都市)を付随させた所為
つまり兵站の負担を商人に負わせたわけだ

これに加えて中世前期の覇者フランク王国が「かつての古代ローマ帝国の版図だった場所で敵の城郭都市を奪いそのまま利用する」という方針だった所為で、中世欧州盛期頃になるまでは新設される城砦が極端に少なかった

逆に中世欧州盛期に入ると神聖ローマ帝国が東方植民で再侵攻(←以前は領土だったがゲルマン民族に奪い返されたのをさらに奪い返した)をしたときに、まさに屯田兵作戦をとった
つまり軍事拠点となる城砦を数マイル(歩いて一時間程度)ごとに作り、その傍に作った村ごと全部を壁で囲った。こうして村一つ数百人しかいない都市(笑)を一万以上作った
記録では言及されているのに実物が全く残っていないので真偽不明と言われる「木製城壁の都市」がこれなのではないかと個人的に思っている

だからその『開拓村兼基地を建設ってのはアリ』どころか史実で行なわれていた