>>324
ググって再確認。フライデー事件は1986年だったか?

既に1985年には瀬川昌治監督の映画『哀しい気分でジョーク』があるけどね。
当時はたけし本人も「オレ、なんであんなのやっちゃったんだろう」と言ってたんだけど、
現在まで延々と俳優業では「あのお笑いのたけしがこんな役を!」とカンシンして貰えるような
ものばかり受けている。
やはり本人も内心では満更ではなかったのだろう。
ちなみに降旗康男監督・高倉健主演の『夜叉』も85年なんだね。

90年にたけしは若き日に若松プロに遊びに行ってた頃からの旧友・小水一男監督の『ほしを
つぐもの』をプロデュース、ここでも自ら主演。
これもイン前・現場では「オレなんかがこんな役をやっていいのか?」とブツブツ言いつつも結局は
撮了まで降板せず、、まあこれは旧友の小水との義理で「オレの名前があった方が色んな
人に観て貰えるだろう」と友情を優先かな。

森繁病とはいうが、森繁も後年まで出ていた『おやじのヒゲ』などを実際に観ると旧知の
竹脇無我などを相手にアドリブ全開で食えないスケベジジイ芝居を楽しそうにやっている。

たけしもバラエティなどではおバカをやりつつ、やはり内心ではそういうのはもうやりたくないのでは?
昔は『刑事ヨロシク』だの『学問のススメ』だの出ていたのにね。

今や「TVで稼いで」「そのカネでたまに映画を撮って」文化人として名前を残す事にしか
もう興味無いみたいね。
「片方でバカをやって片方で映画などを撮ったりする」振り子理論とは、「でもTV仕事なども
やらないと映画も撮れないんだ」という現実を隠す為の言い訳に過ぎないのだろう。