ザイル
​「……ダメ、もう、手を離して」
千尋の声が、風にちぎれて飛んでいく。
​「絶対に、離さない……!」
美月は叫んだ。
​ザイルは岩角に奇跡的に引っかかっている。
だが、美月の腕一本で宙吊りになった千尋の体重が、容赦なく肩を引き裂こうとしていた。
​「このままじゃ、二人とも……!」
千尋が足掻くたび、岩肌の砂がこぼれ落ちた。
​眼下は、霧で底が見えない奈落だ。
​「うるさい! 黙って!」
美月は岩に張り付きながら、もう片方の手でハーケンを掴もうと必死だった。
​だが、雨で濡れた指先は滑り、掴めない。
​「美月……お願い。私のことはいいから。あなただけでも、助かって」
千尋の声が、諦観の色を帯びる。
​「ふざけないで!」
美月は絶叫した。
「あなたがいなきゃ、私が助かったって意味ない!」
​千尋が、息をのむのが分かった。
​「……バカ」
「バカでいい! あなたを死なせるくらいなら、私もここから飛ぶ!」
​血が滲むほど唇を噛み、美月は最後の力を振り絞った。
「絶対に、あんたを落とさない……!」
​千尋は、自分を支える腕が限界を超えて震えているのを感じていた。
​「……わかった。わかったから」
千尋の声に、再び力が戻る。
​「信じてる。美月」
​その言葉だけを頼りに、美月はもう一度、凍える指先で岩肌を探った。