0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/10(土) 15:51:42ID:7mtZN3ax
64ビット版すら出せない出来の悪い兄弟が死亡するまでを見守るスレです。
Max:複雑化したコアとプラグインに頼り切ったのが仇となり業界一の重量級ソフトとなった。
古いくせにモノマネで育ってきた環境のため、未だにハイエンドソフトになりきれないが価格は
ハイエンドクラスになってしまった。
Maya:DGという宗教にハマり右習え的なガチガチコアで柔軟性がない共産主義的ソフト。
ユーザーにMayaの欠点を修正させる機能のMelを搭載。本家は体力不足によりADに入院中。
モーフィアスが言ったとおり、若ければ別だ。
学生ならばMayaでなくとも、Houdini,C++、数学、ソフトウエア工学、芸術をしっかり学び、
そこからMayaに入るなら若さもありすぐに適応できるだろう。
しかしXSIで「非破壊すげー」とかいったままずるずる来た奴らは、
いきなりMaya渡されても大勢の元XSI現Mayaユーザのような不満の大合唱にエナジーを使い果たすだけだ。
昔からXSIの非破壊等の飛び道具に頼った行き当たりばったりな無計画さが
許容される文化にどっぷり浸かることの危険性を警告し、
学生が学ぶならXSIはおろかMaxより、むしろHoudiniを勧めたのは土台となる真の地力を論じたからだ。
Houdiniはデファクトをとることは無いのは分かっていたが、
若いときに適切な最適化を行った人材ならMayaにもすぐに適応できると確信する。
この様に若いときにどの様な学び、経験をしてきたか、
その結果心身がどような最適化をしてきたかがその後の人生を決定付け、
誤った最適化をしてしまった人々は、「仕方なく」、「時既に遅し」として
頑固なまでに抵抗するしか手段は残されていない。
「人間は物自体を認識できず、人間の認識が現象を構成する」(カント)
愚かな人々が過ちを認め、パラダイムシフトが受け入れられたのではなく、
正常化バイアスにより彼らは既得権を必死に保持しようとして戦うものの、結局は新たな
世代の勃興により「旧世代村社会」は崩壊し世代交代によって変節して行った。
むつかしい言葉でノリノリな奴って一定数いるけどそういうやつってこと中身の機能
とかの話題になると鶏になってるよな。
0531名無しさん@お腹いっぱい。2015/08/26(水) 16:05:12.40ID:WPKSbCQ3
ただの自己満オナヌーだ
Max、Mayaがクッソ高いのって、ようするに
「この界隈で仕事をしたけりゃ自動机にみかじめ料払えや」
ってことだよね(´・ω・`)
この人の文章無駄に荘厳な感じで好きだけどなw
blenderの行く末についても書いてもらいたいなー
maxのMCGで逆転勝利なんてことを期待してるのは
元々そんないないでしょ。
いつ頃からだろうか。
CG雑誌を買うときに書店の店員に表紙見せるのが恥ずかしくなったのは。
まーレジに持っていくと萌えロリキャラが表紙にデカデカのった
恥ずかしい表紙に気が付きさりげなく裏面をネーチャンに差し出して
「いや別にやましいわけじゃないがバーコード側が向いていたほうがいいかなとおもって」
ってなんで心の中で言い訳しながら中学生くらいのときにエロ本買ったときの恥ずかしい昭和時代の思い出が蘇ってやっぱり
今の子供たちもこういう昭和的経験を積んで大人になるべきであり簡単にネットでエロ動画なんか
ゲットしたらその後の楽しみが激減するだろうとか限界効用逓減の法則が頭をよぎるわけであるが
すっかり羞恥心のなくなったオヤジになれば逆にエロ雑誌で美少女店員の恥らう姿も新鮮に感じでそこまで落ちぶれたかと
居酒屋どん底を味わおうにもアニメキャラや萌えキャラ事例もそれをデカデカと占有した表紙でが
恥らうどころか刺すような冷たい目線を一方的に浴びるのみであり編集部が
「いや、新たな客層を掘り起こす為には今流行のアレですよ、萌え、萌えなんですよ(キリッ!)
新手のアニメ雑誌かな声優雑誌かなって興味をもってもらえるきっかけになれば。
きっとこのCG業界も盛り上がると思うんですよ。」
ってことですかそんな連中はMMDかせいぜいBlenderで挫折して業界には金落ちねーよと
頭抱えつつSIのEOLは「無くなればいいじゃん」と思っても「CG雑誌は何やってるんだ」と
叩いていたわりにはCG雑誌無くなると寂しいんで闇雲に硬派になったところで
硬派であったという記憶以外何故かまったく記事の記憶が残らなかった日系CGみたいになったり
翻訳した日本語が意味不明なんでなんとなくシリーズで本棚に飾って俺ってハリウッドチェックしてるぜ
みたいな路線とは言わないからせめてプロダクション年鑑みたいな
資料として後で有益なやつだけの季刊や年刊にしてその代わり値段は倍くらいでも
良いので続けてほしいものであるがその際は是非CompleteMayaProgrammingとまでは言わないが
せめて他者に見られても恥ずかしくない表紙にしてもらえれば嬉しいしだいである。
Mayaはブラックホール >>320 のようにユーザを吸い寄せたが
エフェクト分野という限られた領域に限ればMayaからHoudiniにシフトしたケースはあった。
それだけHoudiniは優れたツールである証左であり、AutodeskとしてXSI亡き後の
最大のライバルとして位置付けていると推測される。
なお、その観点で言えばBlenderはそもそも眼中に無いといって良いだろう。
ただ、Houdiniシフトといっても、パイプライン全体となると話は変わってくる。
Houdiniは優れたエフェクトツール、Blenderは無料であることと開発スピードの
速さが語られるのみでそれ以上議論が深化することは無い。
確かに一つの要素ではあるがこれらは本質ではない。
Houdiniはエフェクトで優れているのは事実だが何故パイプラインプラットフォームとしてMayaに勝てないのか。
BlenderはかつてのXSIファナティック以上にネット界隈で暴れまくっているが、
まったくプロの現場では存在感が無いのはなぜか。 Blenderを推す人々、ブレンダちゃんは「徐々にプロの現場でも使われてるよ」
「CMとか一部ゲームとかで聞いたことがある」とのたまうが
CGtalkのビューアでみればブレンダちゃんが言うほどBlenderは流行っているようにはえない。
http://jobinjapan.jp/cate/
相変わらずBlenderの求人はどこにあるのだろうか。
そしてMayaがすでにMaxを超えた求人となっていることも興味深い。
Autodesk社はしばらく、もっとも使われている…
のような枕詞をMaxに使わなくなってずいぶん経つが、
Mayaの飛躍はMayaが強力なアーキテクチャを持っていたことも遠因であろう。
ブレンダちゃんの主張する最大の武器であるBlenderの無料という魅力は、
多くのコスト要素があるプロダクションにとって必ずしも決定的な武器には成らないことは多く語られているが、
もう一つ、この問いに答える為の着目点は互換性である。
ここで言う互換性とはパイプラインや開発環境としての互換性である。
この概念においてBlenderがプロダクションにとってどれだけリスクが
高いかを理解することでBlenderの行く末も見えてくる。 ブレンダちゃんの盲点は、自分たちがもっとも武器だと思っている「急激な進歩」とやらが
プロダクションにとって実は大きなリスクと成りかねない事に気がついていないことである。
それは互換性の消失である。
これはシーンファイルの互換性やUIが変わるといった
表層的な話ではなく、コアシステムからAPI、スクリプトまでの階層モデルにおける互換性の話である。
この互換性を実現する要素は、抽象化、レイヤそして疎結合である。
一般的にプログラムは、特に意識をしなければ抽象化されたレイヤを持たない密結合システムとなる。
互換性を意識すると抽象化されたレイヤを持つ疎結合システムとなる。
Mayaの持つアーキテクチャの武器はMax、XSIだけでなくBlenderに対しても大いなる武器となる。
互換性を実現する「抽象化されたレイヤを持つ疎結合システム」とはシステムの初期設計と
その後の一貫したポリシーとマネージメントのもとで実現される。
Mayaは最近UIメニューの再構築がされたため、一部のユーザで戸惑いが聞かれたが
それはチマチマ標準のGUIで操作を行うユーザにとってであり、その下のMelのレイヤは互換性が保たれているため
自社で開発したパイプラインツールは影響を殆ど受けない。
ここが重要なポイントである。
パイプラインツールとMayaがデファクトを握った要素の一つ「互換性」。
3DCGツールは進化のスピードが激しく、内部に頻繁に手を入れる必要がある。
そしてバージョンアップによってその構造は大きく変わるが、ユーザからしたら
バージョンアップの度に振り回されるのではなく、「そのまま使える」ことが重要となる。
MayaがバージョンアップをしGUIが2016で変更されても、開発ツールとしてのMaya上で構築したシステムは
ほぼ影響を受けることはない。
殆どの人は、互換性とは走っている最中にプログラマーが努力して確保するかのように理解しているが、
実際は最初の設計思想のほうがはるかに重要であり
アーキテクトの腕がもっとも問われるファーストバージョンがリリースされるはるか昔に事は決している。
あとは、強力なマネージメントによりプログラマーが暴走しないように手綱を締めるだけである。
Houdiniはバージョンアップによって、互換性が失われる事が多いがこれをユーザは
「進化のスピードが速い♪」と妙な喜びをもって評価しているがこれはナンセンスの極みであろう。
Houdiniはノード型の開発ツールであり、その実装されたライブラリの仕様が変わるということは
シーンそのものの互換性にダイレクトに影響を与えてしまう事に成る。
Mayaのバージョンアップによって互換性が失われるケースとして
例えばClassicClothの様にサポートされなくなったソルバが無効になるの様なケースであっても
その場合でもシーンファイルはそのまま読めることが多く
バージョンアップしたらシーンの「振る舞い」が変わるということは皆無に等しい。
古いMelもせいぜいサポートされなくなったフラグへの警告が出るのみで構築したロジックが
影響を受けるような非互換は極めて少なく、多くのケースで実行に支障は出ない。
Houdiniのバージョンアップによってたびたび発生するパラメタの変更等の非互換は必ずしも進化とはいえない。
バージョンアップによる非互換は可能な限り回避するのがベンダー側の本来の責務である。
その非互換=進化として喜ぶ姿は盲目な奴隷が己の鎖の丈夫さ自慢するかのようだ。
不毛の砂漠では、毒水でも命の水に見えるのであろうが、それは単なる錯覚に過ぎない。
非互換の発生は、結局レイヤ設計の問題であり、結果的に上位レイヤは下位レイヤに「具体的な手続き」を指示する必要性となる。
具体的な手続きは設備が変更されると変わる。
抽象化が十分であれば上司は部下に具体的な手続きを説明説明する必要はなくなる。
たとえばエレベーターのモーターを超高性能なものに変更したら操作パネルが激変してしまうようなものだ。
非互換の発生するバージョンアップとはこの設備の置換が上位レイヤまで波及してしまうことを意味する。
抽象化された目的は変わらないが下位レイヤを更新すると具体的な手続きが変わってしまう状態は何の価値も生み出さない。
そのレイヤの最上位にいて面食らうのはそれを使うユーザということだ。
Officeは2003で完成していたところにリボンインタフェースなどと馬鹿げたギミックを搭載し、
同じ目的を達するのに多くのアクションと動線が必要となり生産性が落ちた。
ユーザは何も「変化」を求めているのではなく「進化」を求めているのであるが、
本来Excelが抱えている多くの根本問題の解決はアーキテクチャにかかわるため、
つまり下位レイヤ(土台)であるマンションのくい打ちからやり直すにはほとんど作り変えになりかねないので、
上層部の部屋の模様替えのごとく、バージョンアップの度にUIを「無駄に」変えることでユーザの
メンタルマップをリセットさせ模様替えの結果、何がどこにあるか分からないで右往左往させることを
「バージョンアップ劇場」の演出とし、異議を唱えるものを「進化についてこれない池沼」だの
「情弱乙wwww」だの本質を理解していない愚かな多数のファナティックが排除していく。
そう言われれば多くの人は自分に非があると考え適応しようと努力し、人々はメンタルマップを再構築することでヘトヘトになり、
それが終わった頃には理不尽は記憶から消え去り何かすごい偉業を成し遂げたかのごとく勘違いして幸福に浸る。
今時Officeソフトを使いながら「悪名高いリボンインタフェース」を批判しようものなら
かつての共感から「過剰適応」しDarksideに堕ちた者達に噛み付かれるのが関の山だ。
ゾンビに逃れる人々が最後は自分がゾンビになりかつての仲間に襲い掛かるといった構図だ。
>>527 で書いたとおり、多数派というのは常に誤っていると考えたほうがいい。
あなたは多数のゾンビに囲まれたからといって知性を失ったゾンビが正しいと思うのだろうか。
世の中において本質を理解しているものは常に少数派というのが世の常である。 多くのパッケージソフトはバージョンアップの度に多くの負担をユーザに強いており
ERPパッケージですらユーザはバージョンアップにヒーヒー言っている事は有名だ。
特に日本ではERPパッケージでも様々な理由からカスタマイズ、つまりアドオン等の開発が行われるケースが
多いが、通常のパッケージソフトはバージョンアップによってカスタマイズ部分の非互換対応が問題となるため
本来はユーザにとって「カスタマイズ」は禁忌とされている。
このようにバージョンアップによるユーザが無駄に犠牲となる構図はあらゆるソフトウエアで見られることであるが
バージョンアップによる非互換対応とはIT業界の「食い扶持」でもある。
システムになんら問題が無くても、バージョンアップによるサポート切れや、
機器リプレースに伴い新しいOS,新しいミドルウエアのリプレースは半ば強要されることとなり、
最上位のアプリケーションレイヤが否応無く影響を受け膨大なコストでそれらの対応をすることを、
IT業界ではなんら疑問に感じる者はいない。
>>542で書いたとおり「抽象化された目的は変わらないが下位レイヤを更新すると具体的な手続きが変わってしまう」がゆえに
「何の価値も生み出さない」作業のために膨大な投資を迫られるのが常であり、ユーザにとっても必要悪として「常識化」されてきた。
これらの理由から特に海外ではERPなどのパッケージソフトは、カスタマイズせずに使うことが一般的だ。
簡単に言えばERPパッケージはもともとカスタマイズをすることを良しとしていない思想が根底にある。
ベンダーの最大公約数にユーザは合わせろという立ち位置はXSIファナティックの主張とも重なっている。
たしかに一般的にはパッケージソフトはカスタマイズするべきではないだろう。
しかしMayaだけはこの常識を覆した。
Mayaはユーザが大幅にカスタマイズすることを前提として設計された極めて珍しいパッケージソフトである。 ここまで複雑で巨大かつ高度な技術の固まりのパッケージソフトと
ユーザによる膨大なカスタマイズ資産の共存が見事に機能し、
進化の過程で長期間にわたり互換性が保たれているケースが過去を含めて他にあるだろうか。
Mayaをがっつりプロダクションパイプラインのメインツールとして開発した
膨大なアセットを持つ巨大プロダクションが、プロジェクトの切り替え時の
Mayaバージョンアップで非互換対応に追われるという話が語られているだろうか?
仮に15年前のMayaユーザがタイムスリップし今のMayaを触っても、
ユーザインタフェースの基本的な考え方は一貫して変わっていないため
ノウハウがそのまま流用出来、もって来たMelスクリプトは動作し、シーンファイルも開ける。
心配事は吹っ飛び膨大な新機能を見て感動に包まれるだけだろう。
あなたは、今から15年後、つまり2030年にタイムスリップしても
まだ自分の作り上げた資産とノウハウがこの世界で生かせると思うだろうか?
それを実現してきたのがMayaであり、今から15年後にもそれが実現できるポテンシャルは十分ある。
この期間を通算すると2001年宇宙の旅やブレードランナー等の近未来を描いた際のタイムギャップとスケール感は一致する。
ユーザにとって最もつらいことは、自分の長年蓄積したノウハウが消失することである。
XSIのアセットとノウハウのライフサイクルが短期間に終焉に向かった事を嘆くXSIファナティックは
Mayaはユーザフレンドリーではないと長年攻撃してきたが、
実はMayaの様に互換性の高さからユーザのアセットやノウハウが長期間消失しないことこそ、
もっともユーザフレンドリーであった。
Blenderの特徴は無料というよりはOSSだということだ。
Mayaといえばカスタマイズだが、それを言うならソースコードからいじれる
Blenderは最強のカスタマイズツールではないのか?
Mayaを理解するのに、ビルトインスクリプトの解析があるが、
Blenderならスクリプトどころか、ソースコードを解析できる。
開発力のあるプロダクションであるなら、直接Blenderのソースコード
を改変したり、機能を開発する事で「自分好みのBlender」に
することが出来そうで、最強のカスタマイズツールに思えないだろうか。
これに対してMayaはソースコードが非公開であるため、
中身をいじるどころか見ることすらできない。
この観点でいえば、Mayaには出来ないことがBlenderに出来ることとなる。
この「出来る」というのは曲者だ。
この出来るというのは、XSIにおいてVBScriptでWindowsやExcelのダイレクトな操作を
Maya板で自慢していたファナティックがいたが、人は何かが
出来る事に対して無批判に受け入れる愚かさを持つ。
物事には表裏があり、一見良い事に対しても負の側面があるということだ。
実はMayaの非互換の少なさを実現する武器はこのMayaのコアを勝手に
触れないということも一つの要素である。
MayaはすべてAPI経由でのアクセスのみ許可しており、C++であっても
Mayaのコア内部で使われる関数やデータ、変数を
直接参照・操作しないように厳密な境界線を設けている。
つまり、勝手にMayaのコア内部の変数を直接ユーザプログラムが
改変するような「一見便利」な毒饅頭を食らうことを防ぐことで
レイヤ化による疎結合を徹底しているのである。
レイヤを無視し、独自のパイプラインを敷設して勝手なことを
「出来る」としてもそれはしていけないことなのだが、人々は
「出来る」事に眼がくらみ本質を見失うのだ。
OSSというと聞こえが良いが、何事にも負の側面があり一見メリットに
思えることも実際はリスクを伴う。
勝手に土台と成る部分を改変された場合、密結合システムにおいては
どこに影響がでるかわからないからだ。
たとえるならば鉄道のレール幅を鉄オタが「この方が安定的だ」と
勝手に広くしたり、家の前の道路標識を「この方が可愛い♪」と
デコレーションするようなものだ。
OSSはボランティアを基本としており、彼らプログラマーの重要な
モチベーションは「自由闊達」に開発できることだ。
自由闊達なプログラム開発はモチベーションの高いプログラマーから
驚異的なパフォーマンスを導き出すが、Mayaとユーザの関係においては、
これは上位レイヤにある囲いのある遊技場に限定することで中で
何をしようが他者へは関係無い。
しかしOSSの場合、その「牙」がコア部分に向かった場合どうなるだろうか。
果たしてその凄腕のプログラマーをうまくハンドリングできるだろうか。
何しろ「凄腕のプログラマー」とは往々にして自信過剰の独りよがりであり、
他者の目線から物事を多面的に考えるということが苦手な連中が多い。
彼らにとってOSSとは新機能や技術革新によって自分の存在価値を
誇示するための場であって、それに比べれば「互換性」など取るに足らないものだ。
事実、まだ「枯れていない」つまり勢いのあるOSSはバージョンアップによって
どんどん仕様が変わっていくものだ。
OSSにかかわるプログラマーは「枯れている」世界よりも激しい新陳代謝を望むだろう。
ちまちま互換性の中でもがくよりも、ドラスチックに何かを変えて
その実績を誇示したくなるかもしれない。
Blenderが今どのようなステータスにあるか、想像できるはずだ。
趣味のユーザがGUIからゴニョゴニョと新機能で遊ぶなら勝手にするが良い。
しかし、DCCツールの上位レイヤに膨大なプログラムアセットを構築している
プロダクションの立場ならぞっとする話だ。
そもそも、Maya勝利はアーキテクチャという内在的な要因であり
OSSというのはBlenderの外在的要因であり、比較する次元が異なる。
よってブレンダちゃんには、ちょっとした思考実験を投げかけてみると
彼らの真の姿があぶりだされるだろう。
仮に優れたアーキテクチャと絶大な実績を持つMayaがOSSになって
無料になったら他者に何を薦めるか聞いてみれば良い。
もしBlenderというなら、その者にMayaと比較して具体的に何が良いか
問うて見ることだ。
なぜなら無料という武器はもはや無いからだ。
もしMayaがいいというなら、その者の話は女性週刊誌の
家計節約テクニックレベルだったということになる。
>>549
成る程ブレンダーは身勝手で独りよがりが開発してるから暇人のオモチャでしかあり得ないと言うわけだ XSIファナティックは曲がりなりにもMayaとXSIの機能を比較した上で優位性を語り
その昔、富士山はC4Dの機能的優位性を独自の理論で得々と語っていた。
暴れまわるブレンダちゃんを見ると前2者のレベルは高かったと言わざるを得ない。
それにひきかえブレンダちゃんはOSS以外には2つの底の浅い論理しかもたない。
(1)コストが安い:だから趣味ならBlender一択
(2)業務ソフトは趣味には適さない:だから趣味ならBlender
趣味ならBlender、プロならMayaかMaxというのはブレンダちゃんの常套文句であるが、これは詭弁である。
高額な一眼レフを趣味に使う者もいるように、趣味とコストは比較する観点が違う。
むしろ趣味だからこそこだわって高額な金額をかける者もいる。
よって(1)は説得力を持たない。
というと彼らは(2)のとおりこう反論する。
「Mayaほどの多機能な業務ソフトは趣味ユーザにはもてあます」
「Mayaはプログラマーがいて使えるソフト。個人にはBlenderがいい。」
多機能:機能が豊富なのだから良い。
業務ソフト:業務ユースに耐えるポテンシャルを持つから良い。
プログラマー必須:俺は昔から個人ならMaxを推奨したが、今のMayaはプログラマーはいなくても十分使える。
趣味ユーザがMayaを使うことにまったくなんら支障は無いどころか、経済的に許されるならBlenderよりもMayaまたはMaxの方が良い。
目的を達するための手段を合理的に選択するという当たり前の論理だ。
Blenderを使うことが目的ではなく、アウトプットを効率的に生成することなら、より機能が豊富で、
業務ユースにすら耐えられプログラミングスキルがあれば飛躍的に効率化でき、
多くのノウハウが得られるツールを選択するのは当然のことだ。
ソフトウエアに限らず家電製品から軽トラまで一般人や趣味人が業務ユースのものを使う例はいくらでもある。
何かプロは特殊な存在で、一般の趣味人とは別格とでも言うのだろうか。
(2)はブレンダちゃんの詭弁であり、機能が多ければ多い、少なければ少ないで文句を言う、
要するにスーパーのレジでクレームあげてる老人と一緒である。
「趣味ならBlender、プロならMayaかMax」の本心
もちろん彼らの本心は別の所にあり、とりあえずBlenderというマイナーなソフトをMaya,Maxに次ぐナンバー3の座に座らせたい。
それをたかだか2ch界隈でいいから認めてもらいたいという承認欲求だけだ。
彼らは業務ユースにおいては、決してMaya,Maxの前を走ることはせず、残肉をつつくハイエナのことく、
ジャッカルやワシは追い払い、チャンスがあればライオンにも襲い掛かるつもりだ。
究極的にはソフトウエアはデファクトの一種類でそれ以外はいらないから、その先にはBlenderで世界を統一する壮大な願望も隠さない。
たしかに書店にいけばBlender本が並ぶようになったが、あのShadeですら書店には新刊が今でも並んでいるからこれでは心もとない。
世界を制する野望のためには、自分より明確に格下なのがTrueSpaceとStrataに某国産老舗ソフトだけだとなんなんで
せめてMODO、LW,C4Dあたりよりも格上に行かなければ埒が明かない。
「ほら、パパ ぼくこんなにチ○○ンおっきくなったよ」と背伸びしている子供みたいなものだ。
ブレンダちゃんに加えてLW板で暴れるMODOにも同じ匂いがするのは偶然ではない。
マイナーであるがゆえに彼らは自分を大きく見せようとする。
しかし彼らが見せているのは実態を伴わない虚像に過ぎない。
>>551
Mayaが高機能になったのはごく最近の話。
今のMayaはそこまで悪く言われてないでしょ。
昔のは色々弱くて、TDの居る大規模スタジオ向きだった。これは確か。
Maxについては、ここ数年のAutodeskの扱いの酷さがアレ。
開発終了するという噂も流れてるし…。
ただ、最近扱いが改善されてきてる気もする。
>>552
Cinema 4Dはキャラアニメが無理 (最上位版を除く)。
Lightwaveはセルルックには良いけど、リッチな表現に弱い。まぁこれは、次バージョンでPBRレンダラが載って解決されるはず。
Modoはまだアニメーションに弱い。次バージョンで改善されてほしい。
なんだかんだBlenderはバランス取れてる気がする。まぁ広く浅くだけど。 0554名無しさん@お腹いっぱい。2016/02/20(土) 09:27:41.34ID:i25/Qc5d
浅いなぁ
0555名無しさん@お腹いっぱい。2016/04/17(日) 15:52:17.37ID:BLPuwqQN
MAYAはものすごく高いのに なんでそんなに使う人いるの? アメリカのコンピューター
複合体が作ったんでしょ?人道的にも高すぎるのが 大問題
0556名無しさん@お腹いっぱい。2016/04/18(月) 11:49:53.15ID:HMHbuAWF
みんな学生版つこてるやろな。
てか 趣味ならブレンダー論 は裏を返せばmayaのスキルがないから就職できませんって事じゃないの。
高機能な業界標準のソフトがタダで使えるのにわざわざブレンダー選ぶ理由が見当たらない
学生版Maya使っててもfbxで吐き出せばユニティとかアンリアルとか持っていけるやろ、よく知らんけど。
0558名無しさん@お腹いっぱい。2016/04/18(月) 18:12:10.89ID:c0QXG3mf
<<556 へえそうなんですね メタセコのkeynote使ってるけどモーション
つけてUnityへFBXファイルImportできるよ。逆に自分は学生じゃないから
どう考えても 54万のしろもの買う人まずいないよね でも8年位前に
3DCGを買おうとして MAYAを買ってMAYAで作ってモーション作れない人いた 僕は当時
HSPのEASY3Dで3Dゲーム作ってたから メタセコイアでモデリングして
ロックデボーン2でモーションつけてると言ったら そのMAYAずかいから
簡単にモーションはつけれない嘘だと言われた。
0559名無しさん@お腹いっぱい。2016/04/18(月) 18:19:58.11ID:c0QXG3mf
自作3Dゲーム作者としては MAYAは習得しにくくて 高くてゲームを
作るツールとしては ありえない選択 YAHOO知恵袋でMAYAを進める
人みると はらがたつ
なんだこれ!?
3年間くらいずっと1人のMayaユーザーが他のソフトに対して呪詛を吐き続けてるのか。。
危ない奴ww、えらいところに迷い込んでしまったww
この徹底的な抽象化と多数のレイヤ構造による厳密な線引きによる疎結合システムは、通常多くのリソースを消費し、性能問題も発生しやすい。
レイヤ化とは、道路にたとえると関所が随所に設けられ、門番の人件費から、通行する人の申請手続きまで膨大なフリクションが発生する。
Mayaの設計が行われていた20年近く前では、性能問題が今以上にクリティカルであった。
MaxやXSIを地面から引っ張りあげようとすると、まるで大小さまざまな根っこがへばり付いて引き剥がすのは大変だろう。
MayaはIRIX上で動く様に設計されたことあり内部はマイクロソフトのライブラリへの
依存度が低いため、プラットフォームからの独立性を保っており、
プラットフォーム間の非互換が少ないためIRIXから始まり複数OS対応コストが低くなる。
つまりMayaは最下位のOSレイヤからも疎結合に作られているということだ。
これは当然自らライブラリを整備する必要があり、安直に考えれば一般的な
アプリケーション開発で行われるとおり、
3DSMaxのようなWindowsネイティブでMSライブラリに深く依存している方がその時の
開発は楽であり、性能も出やすく一時は合理的に見えるが、長期的スパンで見れば
、抽象化やレイヤ化が不十分な環境との密結合システムとなり
仮にMaxそのものの機能は向上していなくてもMSの提供する環境にMaxやその
プラグインが振り回されてしまう。
これは心臓部を特定のベンダーであるMSに握られたのと同じ状態となる。
XSIユーザもかつてXSIからWindowsライブラリを利用した処理ができることをMayaへの
優位性としていたが、逆に言えばMaxと同じ副作用を持つことを意味する。
MayaのOSレベルからの下位レイヤから上位レイヤまで互換性を意識している事は
古く、メンテナンスもされなくなったフリースクリプトが最新のMayaで動く背景である。
これはMelがC言語という枯れ切った言語体系をベースとしている事も無関係ではない。
そしてこれはシーンファイルの互換性の高さにも関係する。
通常のシステムはシーンのデータそのものが特定のフォーマットとして格納されているが、
Mayaの場合、シーンデータそのものではなく、Maya上にシーンを構築するためのコマンドが記述されている。
つまりMelコマンドの互換性の高さがそのままシーンファイルのバージョン間の互換性となって現れる。
よってMayaではアスキーファイルを直接編集することで、無理やりシーンを開くという技も広く知られている。
このような優れたアーキテクチャ設計は実際のプロダクションワークの課題や
問題点に精通していた人物でなければ無理である。
MSがUnix陣営をライバル視し、大金をはたいて買収しWindowsライブラリという毒まんじゅうを食い、
「非破壊」などというお気軽路線というMSチックな
力技で作っていったXSIと、それに対抗しディズニーの映画製作の過程でカスタマイズ性に優れた
「使える」ツールとして設計されたMayaの大きな路線の違いが最もわかる領域である。
以前XSIのパッケージに出てきたフードの男が実は「死神」を意味し、
彼が描く×印はダメ出しを暗喩していたと書いた。
Houdiniを作ったSideEffectsという会社名は何を暗喩しているのだろうか。
Side Effect=副作用
Houdiniはバージョンアップによりノードの外部仕様が大きく変わる。
「Houdini様は進化のスピードが速くてついて行くのが大変ですよ〜ダンナぁ〜」と
涙目で喜びを表すというのは邪道なものだ。
外部仕様の非互換が何故「進化」なのか?
なんで今まで機能していたものがバージョンアップによって壊れていくのを喜ばなければならないのだ。
本来ユーザは新しく実装された新機能についてのみ学び、構築していけばいいはずなのだ。
逆に考えてみればいい。「副作用」の無い夢の薬。これがMayaだ。
Mayaは何重にもわたる抽象化を繰り返すことで、まるでSideEffectの無い
薬を飲んでいるかのような状態になる。
我々Mayaユーザは度重なるMayaの強力なバージョンアップを
ほぼ副作用=Side Effectの無い形で享受して来た。
一度構築したワークフローシステムにMayaは新しいバージョンが
まるで五臓六腑に染み渡るように馴染んでいく。
これは何度も言及しているDGアーキテクチャという疎結合システムに加えて
Melレイヤによる互換性のためのユニークなアプローチによる。
通常パラメタはバージョンアップにより頻繁に変わる。
新しい機能を実装し、関連する大量のパラメタが必要となればその為に
プログラムを修正するからだ。
その結果、ユーザは大混乱。プログラマ目線なら、新しい機能を実装して
やったんだからお前らも非互換対応しろと上から目線が普通だ。
Mayaで構築したパイプラインが「資産」として蓄積しやすい一つのケース
は組み込まれたMel関数の仕様である。
パラメタはバージョンアップの度に増加しているが、パラメタそれぞれを独立した変数とせず、
一つの変数内に展開し関数側で解釈することでバージョン間の互換性を見事に実現している。
この様なあらゆる側面で互換性が保たれているため、余計な
心配事副作用=side effect を心配せず新バージョンを楽しめる。
現在2強デファクトはMaya、MAXだと思うんですが
最新ヴァージョンではモデリングのしやすさ、リギングのやりやすさ、総合的な扱いやすさ
それぞれどちらが強いんですか?
>>282 で書いたとおり2006年の 10年以上前から基本的に個人にはMaxを勧めてきた。
改めてMaxとMayaの関係性を整理してみたい。
自分はMaxはLWと同じ階層(アッパーミドル)と考えている。
MayaはXSIそしてHoudiniと同じ階層(ハイエンド)になる。
前者はもともと個人をターゲットとして開発されたもので
後者は企業ユースを想定したもの。
LWがMayaを意識しないように出自が異なる両者は価格帯も異なり本来棲み分けしてきたが
Maxは背伸びをし上を目指し、Mayaは上を制覇し焦るXSIと一緒に膝をかがめて下に活路を見出した。
結果XSIは力尽き、腰を落としたMayaと背伸びしたMaxが同じ身長=価格帯ということになっている。
しかし背伸びをしたMaxはこれ以上上に行けば伸びたゴムが切れてしまう。
Autodeskが買収する前からMayaの宿敵はXSIであってMaxではなかった。
ロバが旅に出ても馬になって帰っては来ない。
出自(DNA=アーキテクチャ)は変えられないからだ。
それは上層を泳ぐ回遊魚が根魚とはバッティングしないのと同じであり、
Autodeskが両者を手中に収めた後も変わらず棲み分けさせているとおりだ。
今のMaxはPencilのみが武器のように語られるが、
多くのノウハウ、プラグイン、緩いライセンス、便利なTips,膨大なスクリプト。
作りとして古く、泥臭く洗練されてはいないがアッパーミドルとしてプロの現場で鍛えられた歴史は伊達ではない。
今のLWやMaxは例えればコケとノキシノブにまみれた今にも枯れそうだが、毎年必ず実りをもたらす柿の木みたいなものだ。
IT業界では「枯れている」ことは良い意味で使われ、多くの人が通った道と考えても良い。
長年の風雨に耐え忍んできたMaxやLWは、あなたが突き当たる数多くの問題を先人が既に何らかの方法で克服し土は踏み固められ立派な道になっている。
「新しい近道を見つけた!」と新参者で勢いが良く若々しいModoや「次世代アーキテクチャ」のXSIも通る人が少なければただの獣道だ。 モデリング機能は、次の理由から選定の判断基準としてはプライオリティが低いと考える。
・バージョンアップにより大きく評価が変わる「水物」
・ワークフローのレンジが短い(前、後工程と疎結合)ため、代替選択肢が豊富。
・両者、十分に高機能であり、技術的にいわば飽和状態
リギングに関してはモデリングと違いツール選定での判断基準のプライオリティは高い。
一般論ではMayaはオープンでノードベースとなっており、拡張性が高いとされ、多くの事例や
実績を見れば「限界性能」という観点ではMayaの優位性が高いように見える。
セミナーで「限界性能」を駆使した事例や実績のいわば完成形を見ても、多くの人にとってため息がでるだけだろう。
むしろ見るべきは出来上がったリグの仕組みではなく、(表に出ない)そこにいたるプロセスである。
ピラミッドを見て、うっとりするのではなく、どの様にして作り上げたかを考えるのだ。
リギングは疎結合なモデリングと異なりワークフローのレンジが長い。(前、後工程、横連携と密結合)
技法は多岐にわたり、モーキャプでやるのか、手付けでやるのか、自前か、HIK,Biped,CAT等出来合いのものを使うのか。
また比較観点としても、セットアップのやり易さから、多様性、レスポンス(性能)や安定性、そして汎用性(資産の流用)等
膨大な要素がある。
比較する場合、ある人の取るリギング手法は別の人にとっては無意味かもしれない。
これらの多様なアプローチの何れを取るにおいても、そのプロセスにおいて共通する重要な「基盤」こそが比較するべき着眼点となる。
一般にリギングは再生スピードの高速性やセットアップの容易さが観点として重要視される印象があるが、
セットアップで多くの試行錯誤を繰り返す際のプロセスの合理化及びそのプロセスをブラックボックス化することによる
「積み上げ式」ワークフローの確立が表に出てこない本質だと考える。
・膨大で複雑なキャラクタを自動でセットアップする
・多人数で作業をする場合(分業化するためワークフローの品質確保)
・ヒューマンエラーの防止(命名規約等のルールの徹底)
・品質を高める場合の、トライアンドエラー。(同一ルーチンの膨大な繰り返し)
・モチベーションの維持
単純労働からの解放。機械(プログラム)が得意とする部分を全て機械に任せる
・作業フェーズの抽象化
特定の作業の塊をブラックボックス化する。
・再現性
Inputが同じであればOutputは一定となる。
・可視性(仕組みを容易に把握できること。)
その本質を理解したうえで、そのためのリソースがあるのか。
つまり仕込みに労力がかかるが、その代わりソリッドで洗練された
システマチックな作業を志向するなら個人・零細であってもMayaがふさわしい。
逆に泥臭く作業をすることを厭わないか、叉は現実にリソースが無ければ「出来合いのもの」が豊富なMaxは魅力的だ。
Mayaのように食材からこだわり全て自前で料理するというのは良い事であるし、聞こえは良いが、
現実に多くの人は出来合いの冷凍食品、お惣菜、コンビニ弁当そして外食に頼っているように、優劣というより
もともとはターゲットが違うのだ。
つまり競合しているようで、棲み分けをしている。
ツールのみに着目すれば10年以上前に書いた「個人にはMax」は何も変わっていない。
しかしツールを取り巻く環境は>>318 で書いたとおり、変化が訪れている。
よってツールを比較する場合、モデリングやリギング等の「木」ではなく
「森」を俯瞰し、その森のすぐそばにブルドーザーが押し寄せているのか。
>>285 で書いた3DCGツールの終焉がMaxに該当するかどうか。
ブルドーザがそばに来ていればMaxを選択肢から外さざるを得ないだろう。
でなければアッパーミドルとして膨大なユーザ層と長い歴史に裏打ちされたMaxは
今でもリソースの限られる個人・零細が作品を作るのに適した選択肢だと考えている。 maya最近使い始めたけどGMH2くらいしか利点ないわ
ゲーム制作者からするとプリレンダとかしないでリアルタイムレンダリングにこだわるし
平均的なマシンパワーが上がっていけば有能なゲームエンジンで完結するように素材を調整するようになっていくと思うから
モデリング、テクスチャリング、リギングの3つあれば十分なんだよね
mayaのモデリング操作性は明らかにblenderに劣っているのは感じる
・操作性が直感的じゃないしカメラ操作がアルト押さなきゃいけないのは何の罰ゲーム?
・オブジェクト管理が分かりづらいし融通も利かない
・ショートカットが変えづらい
・リアルタイムレンダリングあるの?
・最短経路選択がない
・ソフト選択が面倒くさい
・UIがスマートじゃない、blenderで画面の半分占領するならmayaは全画面使う
0576名無しさん@お腹いっぱい。2017/12/30(土) 19:07:39.38ID:Hp7G0Fs4
誰でも簡単にネットで稼げる方法など
参考までに、
⇒ 『半藤のブブイウイウレレ』 というサイトで見ることができます。
グーグル検索⇒『半藤のブブイウイウレレ』
JZI2AVAJET
Maxのモディファイヤ、衝撃的に便利だな。
なぜMayaにはコレが無いんだ?
0578名無しさん@お腹いっぱい。2020/08/01(土) 00:42:01.66ID:WjQhQh2s
こわ!!
7年間以上もずっと1人のMaya信者がオナニーしてるwww
こんだけ語っているのにpythonのワードは2回しか出てこない。プロシージャルモデリングや非破壊モデリングも出てこない。
日本のVFX界隈なんて狭い世界なのにこんなのが潜んでいるとは...
時代に取り残された変なおじさん臭がすごいw
危ない奴ww、えらいところに迷い込んでしまったww
今日迷い込んでついつい夜更かし。なんか酒が進んでしもたわ。このスレ書籍化できた奴ではw
令和の今はもう旬を逃してるよなー…いろんな意味で面白かったですよ。DCCソフトの歴史が垣間見えた
思う所はあるけど年月空いたものへの無粋な批判や意見はやめとこう。まず引き込む文章力あるなぁと思ったし
なんなら今のMayaとBlenderにも触れて欲しいわ。Bifrost Graphはまだ道半ばだと思う一方、BlenderはLTS保守しはじめたりAnimation Nodes本体組み込みに向けてちょっとHoudini意識し始めてるなどいろいろ面白くなって来てるし