「全体主義社会」の疑似体験をしているようだ

端的にいえば、今日のネットの息苦しさは、ネットが人びとに対して「全体主義社会がどのようなものか」
を疑似的に体験させているからこそ生じている。

現在のインターネットは、全体主義社会がじわじわと浸透する社会での暮らしがどのようなものなのかを体感させてくれるシミュレーションゲームのような状況になりつつある。
10年前の私に言ったら信じてもらえないだろうが、これが現実だ。

「現実はクソ、ネットこそ救い」だった世界は遠くに過ぎ去り「やっぱり現実の方がいいよね」となりつつある。
人びとは、つながりすぎたがゆえに、お互いと手を取り合えなくなった。