なぜ俺たちは、ゲームを作るセンスがないのか
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>>1 はどの人や国民にゲームを作るセンスがあると考えているのか
その具体的な対象が存在するのか否かによって答えは変わる なぜ俺達にはおっぱいがないのか
男全般におっぱいがないのか
欠点があるのか 「俺達」の範囲は様々で、都市単位だったり信仰単位だったりする
1億人の「俺達」の1人であるという >>1 のような世界観は心強いではないか
この世界観の人はもしインド人であれば13億人の「俺達」の一人になれる
ただし、それではあまりにも他の国と比べて不公平なのでカーストという形で制限されたのであろうな
世界はよくできておるわい とするとやはり中国人から見た「俺たち」が最強なわけだが
ここでも特権階級とその他の人民という隔絶があるわな
そこをまとめるためにファン・ビンビン女史が見せしめとなったわけだろう
「俺たち」の勢力圏を拡大するのはどこの国にとっても至上命題なわけであるな 畢竟、「俺たち」は自らの内の概念に過ぎないわけだから恣意的に改変してしまえばいい
国民を巻き込む方式で行くならば、自らを地球人と定義して「俺たち」の例外を無くしてしまえば一安心だ
本田圭佑の出身地はEarth発言もこのやり方と言える だが、ここで脱線に気づく
数の論理でセンスがあることを証明することには無理があったのだ
やはり才気あふれる著名なクリエイターと自分を同一視する方が賢明だろう だが、そこに本当の繋がりがなければどうして「俺たち」認定できようか
そのように器用に、都合の良い考えができれば >>1 のような疑問はそもそも抱いていないのではないか?
現実的な方法論を何らかの形で提示する必要があるのだろう 現代においてSNSでの繋がりがアイデンティティの一部だという考えは既に浸透している
現実的なセンスのある「俺たち」となる方法はSNSを利用し、著名なクリエイターと繋がることだ
センスのある人々とフォローやいいねで繋がり、それに一日の大半を費やす
そうなればもはやゲームを作るセンスのない「俺たち」などそこにはいない
理想郷の完成である 喧嘩スポーツのセンスもないし
音楽芸術のセンスもないし
勉強のセンスも金稼ぐセンスもない
あらゆるセンスが欠落してるのに
ゲーム作るセンスがある方が不思議だろ? ゲームを作るセンスがないことを認識するためにセンスは不要なのか?
必要であるなら、なぜセンスがないことを認識するセンスがあるのかが不思議であるし
不要であるなら、センスが必要なことと不要なこととの差異が不思議である
また、そこに差異があるとすれば、それを見極めるためのセンスの必要性と有無は?
この問いを繰り返すとどこに行き着くのか?センスの根源を見るセンスの持ち主はいないのか? そうやって狭い世界しか見ていないからセンスが鍛えられないんじゃね 消費しかしてこなかった奴が急にゲーム作れるようになるわけねえだろ 要は製作技術と自己イメージとのギャップであるな
ゲーマーの経験は理想的なゲーム論やイメージを膨らませるが
これは抽象的なもので製作技術に基づいてないので製作技術とのギャップが生まれる
製作の経験によってイメージを形成していけば可能な技術の延長上に妄想が現れるのでギャップに苦しみづらい
ゲーム製作かじったやつがドヤ顔でゲームプレイしなくなったと言いがちなのは、自分のイメージとのギャップがある既存品を敬遠するから 理想に囚われないためには予測をしなければいいのではないか
はじめは作業速度が遅く1時間に1ページも文を書けなかったとする
1週間の練習の末に1時間に4ページ書けるようになったとする
こうして続けていけば1時間に100ページ書くことも夢ではないなと予測を立ててしまうのが人間の性
だが、その予測に意味はあるのか?無限の向上という幻想がなければ作業は続けられないのか? 問題をさらに複雑にしてしまうのは認識の曖昧さだ
1週間の練習(日に何時間の?)、1時間に1ページも文を書けない(何文字?)と言った認識にすら曖昧さがある
上記のような粒度であれ作業量を把握していればまだ良い方だが、実際には記録や把握をしていない人も多いだろう
そのような人は安易に理想と現実の認識のギャップに苦しみ、自分が漠然とした欠点を抱えていると考えるに至る 全てを正確に把握すれば認識と現実の乖離がなくなるか?
これもまた過大な予測に陥っている
分単位で作業時間を把握し続けるのすら工夫や慣れを要する
作業の質や心身の内外の環境まで考慮したら到底把握しきれないと気づく しかし正確な限界がわからずとも、可能範囲やその差異についての認識は深まる
ゆえに作業は自分の可能範囲の追求であると定義してもいいだろう
そして、可能範囲の広さこそがセンスだ 過大な予測と可能範囲とを混同してはいけない
人々にゲーム作りのセンスがないと感じるのは、人々がゲーム作りの可能範囲を追求していないからである
そして、それを人々が嘆かないのは過大な予測を立てていないからである
自らが追求した可能範囲を提示して理想が叶わないと嘆くものは久しからず
嘆く者は自らの過大な予測のみを提示しているのである 漫画にしろ映画にしろ、創作物の世界ってのは評価基準が曖昧だし己との戦いだよな
やっぱゲーム製作にも商業的な会社とは違った指導者のいる工房的なシステムがあると助かるんだが…
流行ってるゲームエンジンのコミュニティとかはそんな感じなのかな? 専門はなんかカリキュラム的な何かをこなすだけっぽくない?
同志の集いって雰囲気感じないんだよなぁ、行った事あるわけじゃないけど ヒソヒソ)
みんな言わないからって俺が突っ込むのイヤダヨー センスと言うか専門に特化してない
ゲームは各分野の専門家が集まって作る物だ 平凡なホモ絵じゃん
センスあるってほどでもないし、センスないってほどでもない >>37
その程度の感想しか出てこないなら、お前は凡人 >>38
描いた人か?そのとおり俺は凡人だから別に気にすることないぞ >>36
絵はうまいとは言えないけど(多分適当に描いただけ)
背景はずいぶん凝っているね
きちんとした技術がないとまねできないと思う そうか?背景はフリー素材だったりツールのエフェクトでなんとでもなりそうだから
俺は靴下脱ぎ捨てフルチンマッチョマンの躍動感の方がすごいと思うが 擬音を手書きじゃなく既存のフォントをいじってるってのがねwwww 構図はあれだが塗りはまぁまぁ
キュビズムとかそっちの方に突っ走って欲しい センスないやつあるある
絵の評論でキュビズムとか印象派とか言っちゃいがち 自分が理解できないので、つい皮肉めいたレスをしてしまう 我慢しきれず案の定の返しをしてしまうキュビズムくんワロタ キモオタ・陰キャ・コミュ障は自分の世界しか興味ないし会話もできないしリーダーシップもない
一人でキモオタゲー作って終わりだから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています